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◆ファウルの判定に抗議して退場

沢村拓一が所属するレッドソックスのアレックス・コーラ監督が15日(日本時間16日)のツインズ戦で、退場処分となった。8回の守備で空振りに見えたプレーがファウルと判定されたことに猛抗議。アメリカのメディアは「映像で見ると明らかな空振り」、「残酷な誤審」などと報じている。

 

「心は熱く頭は冷静に」。模範となる監督や選手が増えたからなのか、日本のプロ野球では以前と比べて、退場処分が減っている。決して褒められる行為ではないが、かつては審判や相手チームに激高し、勝利への執念を見せる監督や選手が少なくなかった。

 

◆日本野球界最多は陽気な助っ人

日本のプロ野球史上で最も多くの退場処分を受けたのは、タフィー・ローズ。本塁打のタイトルを4回獲得。通算本塁打は歴代13位の464本で、外国人選手として唯一、400本を超えている。陽気な性格や闘志を前面に出すプレースタイルでファンに愛されたが、近鉄で6回、巨人で3回、オリックスで5回と計14回退場となっている。そのほとんどが、ストライクの判定に抗議したものだった。

 

監督最多はマーティ・ブラウン。日本でチームを指揮した期間は5年間だったが、広島で8回、楽天で4回退場になった。印象的なのは抗議の仕方。ベースを引き抜いてグラウンドに投げたり、ホームベースに砂をかけたりして不満を表現した。

 

日本人では400勝左腕の金田正一や、「闘将」と呼ばれた星野仙一、両リーグで本塁打王に輝いた山﨑武司らが有名だが、退場でも異彩を放ったのが落合博満だ。怒りを爆発させる退場の定石だが、落合の退場理由の大半は「遅延行為」だった。遅延行為とみなされる5分間、判定に対し冷静に抗議した。

 

歴史の長いメジャーリーグは、退場回数でも驚くような記録が残されている。監督の最多記録は、1990年代から2000年代にかけてブレーブスの黄金期を築いた名将ボビー・コックスの162回。

 

◆メジャー最多は162回の退場

コックスは不利な判定に黙っていられない性格で度々、審判に詰め寄って猛抗議した。ブレーブスとブルージェイズで計29年監督を務めているため、1シーズン平均5.5回退場している計算となる。最も多かったのは、シーズン最多タイ記録となった2001年の11回。1999年と2007年には10回退場処分を受けている。

 

退場が100回を超えた監督はコックスを含めて3人しかいない。2番目に多いのが、1899年から選手兼任を含めて、オリオールズとジャイアンツを33年間指揮したジョン・マグロ―。強い統率力から「リトル・ナポレオン」と呼ばれた。ワールドシリーズを制覇した1905年は退場11回。シーズン2ケタの退場回数は、コックスより多い4回を記録している。

 

マグロ―に次ぐのが、レオ・ドローチャーの100回。1939年に現在のドジャースで選手兼任監督となり、ジャイアンツやカブスなど4チームの監督を計24年務めた。シーズンで最も多いのは1953年の7回だが、5回以上退場するシーズンが多く、通算回数が増えていった。

 

最近では昨シーズン途中までタイガースを指揮した、ロン・ガーデンハイヤーが通算84回。現在エンゼルスの監督をしているジョー・マドンが通算55回となっている。日本の野球ファンには馴染みがあり、顔を真っ赤にして興奮することから「赤鬼」と呼ばれたチャーリー・マニエルは、歴代21番目に多い52回の退場処分を受けている。

By New Road 編集部

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