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◆「アスリートとしてやり切っていない」

元DeNAの石川雄洋氏が、アメリカンフットボールで第2のアスリート人生をスタートさせる。アメリカンフットボール日本社会人リーグ「Xリーグ」のノジマ相模原は、来月1日に石川氏が入団すると発表した。

 

石川氏は昨シーズンまでDeNAでプレーし、オフに戦力外通告を受けた。現役続行の道を模索したが3月に現役引退を表明していた。きのう11日に開かれた会見で石川氏は「アスリートしてまだやり切っていなく、まだまだ体が動く。フットボールは甘くないと思っているが、以前から関心があったフットボールにチャレンジしたい」と意気込みを語った。

 

石川光暢GMは「石川選手のフットボールに挑戦したいという気持ち、日本最高峰のプロリーグで長年活躍されたプロ意識が、既存選手の刺激になると考え迎え入れることになりました」と期待を寄せた。

 

現役引退後、違う競技に挑戦するプロ野球選手は少なくない。西武と巨人でプレーした大久保博元氏はプロゴルファーとなり、西武や広島などに所属した木村昇吾氏は、クリケットの道に進んだ。

 

◆他競技からプロ野球入りした選手も

一方、プロ野球界には他のスポーツから転身した選手もいる。比較的記憶に新しいのは、2011年のドラフト会議で日本ハムから7位で指名を受けた大嶋匠氏。中学から大学までソフトボール一筋で硬式野球の経験はなかった。

 

早稲田大学ではリーグ戦で13試合連続本塁打を放ち、年代別の日本代表で4番を務める圧倒的なパワーを誇ったが、硬式野球への対応は簡単ではなかった。2018年に戦力外通告を受けて引退。プロ通算15試合で18打数3安打。本塁打はゼロに終わった。

 

球技以外から転身した選手もいる。1991年のドラフトでロッテから7位指名された市場孝之氏は角界から球界入りした。中学時代は野球と相撲の“二刀流”で活躍し、卒業後に佐渡ヶ嶽部屋に入門。しかし、けがが原因で廃業すると国際海洋高校に入学して野球部に入部。プロの目に留まった。ロッテでは1軍出場がないまま、1993年にユニフォームを脱いだ。

 

さらに、驚きのドラフトとなったのは1968年。東京オリオンズに9位で指名を受けた飯島秀雄氏だ。陸上100メートルの元日本記録保持者(10秒1)で、1964年の東京と1968年のメキシコ、2大会連続でオリンピックに出場している。プロ通算117試合に出ているが、打席に立ったことは一度もない。足のスペシャリストとして、23盗塁46得点を記録している。

 

プロ入り前に“二刀流”で話題となったのは中日の根尾昂。春夏連覇を達成した大阪桐蔭では投手でも野手でも高い評価を受けたが、中学ではスキーでも活躍した。中学2年では全国大会のアルペンの大回転で優勝するほどの実力だった。

 

両リーグで本塁打王を獲得した山﨑武司氏は中学時代、野球部に所属していたが、中学3年の夏に1回戦で敗退後に相撲部から誘いを受けて出場した愛知県の大会で優勝。楽天に所属していた頃に「相撲を続けていたら大関までいったかもしれない」と話している。さらに、中学の陸上部顧問から「砲丸投げで大会に出てみろよ」と言われて出場した県大会で優勝。最終的に全国大会で準優勝した。

 

野球からアメフトに転身する石川氏は、母校の横浜高校にアメフト部があったことや、米国のアリゾナ州で自主トレをしていたプロ野球選手の頃にNFLの試合を観戦したことからアメフトに関心があったという。入団する相模原とはプロ契約ではなく、まずは選手登録枠の獲得を目指す。

By New Road 編集部

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