どれほど輝かしいキャリアを送ってきたアスリートでも、必ず引退を迎える。その理由はさまざまだが、アスリートにとっては大きな転機と言えるだろう。しかし競技を引退しても、アスリートの人生はそこで終わりではない。引退したアスリートを待ち受けているのは、セカンドキャリアという新たな長い人生の幕開けだ。

競技を引退したアスリートといえば、指導者や解説者として活躍することがもっともポピュラーな選択のように思えるだろう。しかし、現役時代に歩んできた道からは想像もつかない、意外な転身を遂げるアスリートも数多く存在する。ここでは具体的に、5名のアスリートについてセカンドキャリアでの活動をご紹介しよう。

目次

元プロサッカー選手:那須大亮氏

<信念を貫き選んだ異例のセカンドキャリアYouTuber

2019年にプロサッカー選手を引退した那須大亮氏。現役時代は浦和レッズやヴィッセル神戸などの名門チームを渡り歩き、2013年にはJ1リーグベストイレブンにも選出された。確かな実績を残してきた那須氏だが、セカンドキャリアに選んだのはYouTuberという異例な活躍の場だった。

セカンドキャリアと言っても、那須氏がYouTubeを開始したのはヴィッセル神戸所属中の選手時代である。当時は真面目に練習しろと、視聴者から厳しい声が多くあったという。そんな状況下でも那須氏がYouTubeを続けてきた理由は、明確な信念を持っていたからだ。それは、「YouTubeを通じて多くの人にサッカーの魅力を知ってもらう」こと。実際に那須氏のYouTubeを視聴してみると、現役選手・OB選手との対談やコラボ企画、高校サッカー部への潜入などジャンルは多様である。しかし、どの動画からも共通して感じる印象は、「企画を心から楽しむ那須氏の姿」だった。彼自身がサッカーへの愛を存分に表現することで、視聴者にサッカーの魅力を感じてもらう。それが、那須氏の創り出すYouTubeの特徴だ。

<今後の目指すべき場所とは?>

那須氏は元プロ野球選手で現在YouTuberとしても活躍する里崎智也さんと、対談で次のようなこのようなことを話している。

「具体的な目標はチャンネル登録者数100万人。アスリートYouTuberとしての影響力を高めスポーツ界全体を活性化していきたい」

彼のゴールは、YouTubeとして一生暮らせるお金を稼ぐことではない。YouTubeという媒体を用いて、サッカー界の活性化あるいはスポーツ界全体の活性化に貢献すること     。アスリートYouTuberのパイオニアである那須氏の姿を見て、YouTubeに参入するJリーガーも増えてきているようだ。那須氏のさらなる挑戦が続いていくとともに、数多くのアスリートYouTuberが誕生する気風は今後も高まりそうである。アスリートによる「YouTube×スポーツ」という、新たなシナジー効果に大きく期待したい。

▼参考:Satozaki Channel|【YouTube新時代】アスリートYouTuberの裏側は甘くなかった

元プロサッカー選手:鈴木啓太氏

<指導者への退路を完全に断って選んだビジネスの世界>

2015年に引退した元サッカー日本代表の鈴木啓太氏。浦和レッズの象徴的存在として長年チームを引っ張ってきた選手であり、多くの方は指導者として活躍する姿を想像していたのではないだろうか。しかし、鈴木氏はコーチライセンスを取得しなかった。指導者への退路を完全に経ち、ビジネスの世界へと飛び込んだのだ。現在、鈴木氏はAuB株式会社の代表取締役としてセカンドキャリアを歩んでいる。

AuB株式会社は腸内環境の研究、およびこれに基づくコンディショニングサポートやサプリメントの開発・販売などを手掛ける企業だ。アスリートとしてコンディションを整えることの大切さを常に感じてきた鈴木氏は、コンディショニングと腸内環境の結びつきに注目して会社を立ち上げた。

<腸内環境の研究で、多くの人が健康でいられる世界へ>

鈴木氏が腸内環境に関心を寄せてきたのは、幼少期の頃からだ。子どもの頃に母から発酵食品を食べさせてもらったり、腸内環境を整えるサプリメントを与えてもらったりしていたという。彼は幼少期のその経験を、現役時代にもコンディショニングとして活かしていた。コンディショニングにおける腸内細菌の重要性を誰よりも知る鈴木氏は、頑張っているアスリートを基礎から支えたいという思いで研究と日々向き合っている。

ただ鈴木氏が設立したAuBの想いは、サポーターにいつまでも元気にスタジアムへ通ってほしいと、アスリート以外の方にも向けられている。すべての人の健康をサポートし、いつまでも自分のやりたいことにチャレンジできる世界を実現させること。それが、鈴木氏が自身に課しているセカンドキャリアの使命なのだろう

・参考:AuB株式会社 公式ホームページ

元プロ野球選手:森本稀哲氏

<「経営を学びたい」という想いがビジネスへの扉を開く>

元プロ野球選手の森本稀哲氏もまた、引退後にビジネスの世界へ飛びこんだアスリートの一人だ。スキンヘッドがトレードマークで、現役時代は持ち前の明るさでプロ野球界を盛り上げる存在だった。

森本氏は、引退後のセカンドキャリアで「経営を学びたい」というイメージを漠然と描いていた。そんな中、現在も契約中の経営コンサルティング会社・CKプロダクションから「せっかくなら実際のマーケットで実践しながら学ばないか」声をかけられ、そのビジョンに共感。野球解説やタレント、テレビ・ラジオ出演、一般企業に向けた講演と、マルチなフィールドで活躍する新たな人生を歩み始めることになった。

・参考:CKプロダクション株式会社「MORIMOTO HICHORI TALENT MANAGEMEN

<森本氏にしかできない聴衆への価値提供>

森本氏はファーストキャリアを活かした解説者やスポーツイベントへのゲスト参加の他に、一般企業への講演でも活躍している。これまで野球一筋で突き進んできた人生。森本氏は、どのような価値を聴衆に届けているのだろうか。

現在、世の中の環境は目まぐるしい進化を遂げ、働き方や組織のあり方が大きく変動している。そんな中、森本氏が強調するのは一人一人の存在価値だ。森本氏は現役時代、ヒット性の当たりに果敢に食らいつく守備やホームランでも全力疾走のベースラン、オールスターゲームには特殊メイクで変装して登場するなど、数々のパフォーマンスでファンを魅了してきた。稀代のエンターテイナーとして個性を発揮し続けてきた森本氏の体験が、講演内容に活かされているようだ

フィールドは違っても、野球とビジネスとで組織の中で個を発揮することの大切さは変わらない。唯一無二である自分自身の生き方をテーマとした講演で、個性を発揮して存在価値を高めるための知恵を伝え、聴衆に新たな発想を届けている。

▼参考:森本稀哲氏オフィシャルサイト

講演

元箱根ランナー:柏原竜二氏

<競技経験を活かしマルチに活躍の場を広げる>

2009年から2012年にかけて東洋大学駅伝部に所属し、箱根駅伝で3回の総合優勝に貢献した柏原竜二氏。箱根駅伝では5区で驚異的な走りを見せ、山の神としてその名を知らしめた。大学卒業後は富士通株式会社に入社して駅伝部に所属したが、2017年に引退している。現在は同社の企業スポーツ推進室に所属し、会社員として活躍中だ。

競技引退後に、所属先企業で勤務を続ける例は少なくない。しかし柏原氏は、他にもマルチに活動している。元アスリートとしての経験を活かし、ゲストランナーとしてのイベント参加や陸上教室の開催、さらに講演活動やラジオ番組のナビゲーターなども行っているのだ。

さらに興味深いのが競技引退後から2年間、富士通アメリカンフットボール部のマネージャー&スタッフとして活躍したという経歴だ。この経験を通じて柏原氏は、「陸上競技一辺倒だったモノの見方がアメフトと関わることで多角的になった」と話している。陸上からアメフトへの転身、そして競技者ではなくスタッフとしての関わりは、異色なキャリアと言えるだろう。

・参考:柏原竜二氏note「お知らせ?ご報告?」

<挑戦し続ける姿勢から見出した、自分自身の可能性>

柏原氏はセカンドキャリアにおいて、会社員という枠にとらわれず、目の前のことに挑戦し続けている姿が印象的である。これは、そのようなキャリアを後押しする富士通のお陰ということもあり、柏原氏は会社に感謝を示してい。会社員の多様な働き方が進む現代、アスリートはもちろんビジネスパーソンにとっても、柏原氏のような生き方は参考になるのではないだろうか。

講演やラジオで活躍する姿を見て、家族や友人に「お前が人前で話す仕事するなんて意外だった」と言われたと柏原氏は話す。正直、本人も人前で話すことは好きではなかったという。ただ、不安があったり自信がなかったりしても、誰かに何かを伝える、あるいは何かを考える仕事に現在は魅力を感じているようだ。具体的には、マラソンイベントの企画や夢に向かって目を輝かせる子どもたちへの講演など、多岐にわたる活動が今を生きる彼の活力なのだろう。

柏原氏は、なぜ新たな自分を開拓できたのだろうか。それは恐らく、目の前に転がってくるチャンスを逃さず挑戦を続け、そこで出会う多くの人たちの価値観に触れ、自分の可能性を広げてきたからではないだろうか。

・参考:柏原竜二氏noteHOKA ONE ONEアンバサダー就任」

柔道家:松本薫氏

<自身の好きなものが原点のセカンドキャリア>

引退会見で突然「アイス作ります!」と発言し、その場を驚きに包んだ選手がいる。それが、柔道家の松本薫氏だ。ロンドン五輪の金メダリストであり、試合前に闘志をむき出しにする表情や動作から野獣という異名がついた松本氏。セカンドキャリアがアイスクリーム屋というのも、アスリートとしては斬新な発想だろう。

もともとアイスが好きだったという松本氏は、ロンドン五輪後にパフェを14食も食べたというエピソードを話している。しかし、さすがに食べ過ぎると胃もたれや体重増量など、体に何らかの異変がすることを実感した。そのとき松本氏は、「毎日食べても大丈夫なアイスクリームがあればいいのに」と考えたという。このエピソードこそが、セカンドキャリアでアイスクリーム屋さんを営むキッカケである。

▼参考:テレビ東京スポーツ|【柔道】ロンドン五輪金・松本薫「アイスクリームを作ります!」引退会見

 

<アスリートならではの視点で研究されたアイスクリーム>

松本氏が手がけるダシーズは、「食べたいけど、食べられない。でも食べたい。」という人向けにアイスクリームを販売している。身体に悪いものが含まれておらず、食べること自体がプラスになる。だから罪悪感なく思い切り食べられる、そんなアイスクリームを求めて日々研究を重ねてきた。

このアイスクリームの研究は東京富士大学の研究所内で行われており、大学生たちと一緒に試行錯誤しながら製造・販売している。乳製品不使用やグルテンフリーなど、その他の素材にもこだわり抜く。健康志向の方、あるいはアレルギー体質の方でも楽しめるようなアイスクリームなのだ。アイスクリーム屋への転身となると、さすがにアスリートとは無縁の世界かと思えた。しかし実際は、健康に気を遣うアスリート特有の視点が活かされている。

アスリート時代の経験が必ず活きる セカンドキャリアを生きる希望に

この他にも、実に多様なセカンドキャリアを歩んでいるアスリートがいる。例えばオリンピックの出場経験も持つ元フィギュアスケート選手の町田樹氏は研究者へと転身し、現在は大学教授も勤めている。あるいは医者や公務員、パティシエなど。一見すると、まったく結びつきがないように感じるものも少なくなり。しかし誰もが挑戦心や諦めない信念など、アスリート人生で培った経験を存分に発揮して活躍しているのだろう。

今回、多くのアスリートについて調べた中で、分かったことが1つある。それは引退という人生の岐路に立たされたときに生まれる、アスリート特有の葛藤や悩みだ。多くのアスリートが「自分から競技を取れば何も残らない」と、ネガティブな思考に陥りがちである。そんな中でセカンドキャリアは、アスリートに新たな希望をもたらす大きな力を持っているのではないだろうか。多くのアスリートが引退後も新たな希望の光を見つけ、幸せな第二の人生を送ってくれることを願いたい。

[著者プロフィール]

西口 遼(にしぐち・りょう)
1999年生まれ、サッカー歴15年のスポーツマンライター。これまでの競技経験で培った経験を活かし、スポーツ関連の記事を中心に執筆。日本サッカー協会公認の指導者ライセンス保有しており、技術指導も行っている。自身は社会人リーグでプレーする現役サッカープレーヤー。
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By New Road 編集部

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