もし世界最高峰を目指すなら、どのような環境に身を置くだろうか。アスリートであれば最新鋭の設備・施設・指導者のように、恵まれた環境を求めるのが一般的だろう。しかし、格闘技の世界に“非”一般的な環境に身を置き、世界で闘い続けている選手がいる。それが、栃木県塩谷郡塩谷町在住の総合格闘技・手塚裕之選手だ。
主戦場は世界最高峰の格闘技団体の一つであり、アジアを中心に絶大な人気を誇る『ONE Championship』(シンガポールの格闘技団体)。ONEは世界150カ国で放送・配信され、アジア史上最大のグローバル・スポーツ・メディア・プラットフォームだ。“最強”の称号を手にするため、手塚選手は世界中から集う猛者たちと凌ぎを削る。練習場所は、自宅のガレージを改造した『Tekka’s Gym Fighting Crew』(通称:TGFC)。「この土地で戦うからこそ価値がある」と断言する手塚選手の言葉には、アスリートに限らずとも共通する“闘うための環境の作り”の信念が見える。今回は、そんな手塚選手の定説を打ち崩す独創的な発想に迫った。
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練習場所は自宅のジムと大自然
手塚選手は筋骨隆々な体躯で打撃を得意とし、高いKO率を誇る。2021年11月に行われたシンガポールの試合『ONE Championship: NextGen 2』ではマレーシアの強豪アギラン・ターニに3Rにハイキックをもらい、危ない展開を見せながらも逆転KO勝利をおさめた。現地の解説員も興奮気味に「Japanese Beast!(日本の野獣)」を連呼。日本でも“野生獣”の愛称で呼ばれているが、“日本の野獣ぶり”を大きく印象づけた。彼の果敢に攻め続ける精神性と、柔軟性ある闘い方はどこから生まれるのだろうか。
宇都宮駅から車を走らせると、次第に木々に囲まれた山中をくぐる。コンビニがなくなり、田畑と民家が山々に囲まれた景色の中に手塚選手の練習ジムTGFCはあった。家屋横の農機具入れだったガレージのシャッターを開ければ、サンドバッグが吊るされ、パンチ用グローブやミット、トレーニング機材が並ぶ。ここは、半年前まで農機具が半面を占めていた場所だ。のどかな里山風景から、世界最高峰のきらびやかなリングは想像つかない。手塚選手は「(この景色を見て)驚いてくれるのが嬉しいんですよ」と、人の意表をつくことに喜びを示す。
取材の数日前には、上半身裸の裸足登山を仲間たちと敢行。砂利道で、ときには栗のイガを踏むこともあったというが、自らの野生性を鍛えることが“強さ”につながるのだとか。「血豆とかできたけれど全然平気。昔から生物としての強さに憧れがあって、いろんなトレーニング方法を取り入れてきました」という手塚選手のSNSを見てみると、滝に打たれたり渓流に飛び込んだり、裸で雪山登山するなど自然あふれるトレーニングの様子が満載だ。
「野生を取り入れて、自発的な発想で練習できることが楽しいんです。だって都会だったら、雄叫びを上げながら練習できないじゃないですか」という手塚選手。練習内容もすべて自分で考え、出稽古にも積極的に出かける。そのため、車の走行距離は1ヶ月で3,000km〜4,000kmにも及ぶそうだ。
「やらされている練習をやっていても、ある程度までは伸びます。しかし、コーチに頼っているうちはコーチの経験則を超えられない。だから、自分の中に一番のコーチを持つことです。自分の城(環境)を作って自分の中にコーチを持っていれば、色んなコーチに会って学び続けることができるし、強くなると思います。自分は自分で納得しない限り、人に決められたことをやることができない。ストレスが溜まってしまって。ストレス耐性ないこともわかっているので、自分で決めた環境じゃないと我慢できないんです」
そう語る手塚選手に対し、現在手塚選手のミットを持つトレーナー・再従兄弟の通称たけちゃんは「でも、彼は自分で決めたらゲロを吐いてでもやりぬきますよ」と笑う。彼も格闘技未経験ながら、4年前から独自でトレーナー技術を学んで共に練習に励んでいる。
定説を疑う発想を持つこと
手塚選手は2015年に総合格闘家としてデビュー。そして2019年6月、日本の総合格闘技団体『PANCRASE』でウェルター級王者を奪取した。ONEのヘッドハンティングで同年10月に行われたONE両国大会に参戦し、見事勝利をおさめている。
手塚選手の活躍を喜ぶ声と同時に、聞こえてきたのは「練習相手がいないんじゃないか」「上京した方が強くなれるんじゃないか」という喜憂の声だった。確かに地方の選手は、東京へ上京して鍛錬することが一般的だ。PANCRASEのチャンピオンになってからは、身を置く環境も考えた。競技レベルの高い者同士が切磋琢磨し合う環境は、自らのレベルも引き上げられるだろう。しかし、手塚選手は独自の見解を示す。
「格闘家は現代の武士。じゃあ、武士が栃木で城を構え、戦に勝ったとしたらどうするか。江戸には行かないし、もっと城を強くしていくことを考えると思うんです。自分は大好きな家族や仲間たちと一緒に強くなることに、一番の価値を感じています。東京、東京と言われても、ここでやっていく覚悟を決めているんです。栃木の田舎から世界に行けるって、その方がイケてるっていうか、夢があるじゃないですか」
手塚選手は常に“当たり前”を一度疑う。大多数を懐疑的に眺めては、自らの解釈で答えを導き出しているのだ。
思春期に浮かんだ「みんなと一緒でいいのか?」の疑問
手塚選手は米農家の長男として生まれ、現在も稼業を手伝っている。少年時代は裏山で秘密基地を作ったり、田んぼを駆け回ったり、釣りをするなど自然の中で遊ぶことが大好きだった。友達同士で集まってゲームするより、一人の世界に入る世界観を好んだ。当時について手塚選手は、「どちらかと言えば陰キャ(暗いキャラの造語)というか、目立つ方ではなかったですね。シャイで、女の子とまともに話せなかったです」と振り返る。中学校に入り、当時流行っていた漫画『テニスの王子様』の影響で「テニスを始めれば少しは女の子にモテる」と思い軟式テニス部に入部。当時から筋力トレーニングにハマっていたが、テニスでは筋肉の威力を豪快に発揮できないことに、どこかもどかしさも感じていた。
格闘技を始めたのは高校3年生の夏。日本体育大学へ進学を決めた際、体力づくりを兼ねて県内のキックボクシングジムに通い始めた。幼少期から祖父や父の影響で格闘技が大好きだった手塚選手。当時流行していた総合格闘技団体『PRIDE』や『HERO’s』で、選手たちの躍動する肉体や闘志むき出しのファイトを見ては、自分も強くなった気になった。手塚選手に強さへの憧れの根源を辿ってもらうと、次のようにルーツを語ってくれた。
「幼稚園の頃、ちびっこ相撲とかにでるようなガキ大将にいじめられて。そいつをいつか倒そうと思ってアタックしていたけれど、全然倒せなかった。そのときの反骨心から、格闘家っていうよりは生物としての強さに憧れがありました」
自身の感性が人と違うと感じたのは高校生のとき。カラオケでみんなが楽しそうにしている中、どこか冷めている自分がいた。「みんなと同じでいいのか。同じことをしていたら同じになってしまう。俺は俺でいたい」と、自身の中にある“野生”をこの時期から磨き始めていたのかもしれない。
自分の肌に合ったアメリカでの指導方法
日本体育大学を卒業後、体育教師を務めた時期もあった。キックボクシングからは離れていたが、格闘技への想いがあきらめられず悩みながらも退職。そして、農業研修プログラムで渡米できる可能性に懸けた。見事に研修プログラム対象者となり渡米。農業の勉強の傍ら、研修が終わればすぐさま総合格闘技のジムに通う日々を送った。アメリカの指導方法が肌に合い、「日本は『こうしろ』という文化。でもアメリカでは常に『お前はどうしたい?』と聞かれる。マインドが合理的かつ選手ファーストでした」と話す手塚選手。アメリカでの試合映像をPANCRASEに自ら売り込み、日本でのプロデビューが決まった。
指導の場では、しばしば「自分の頭で考えろ」という言葉が聞かれる。しかしその真意は、未だ日本の社会は呑み込めていないのかもしれない。一方で手塚選手は、型にはまらずオリジナルを築き上げて世界で戦っている。“自分で考える力”とはどのようなものなのか。愛読する漫画『グラップラー刃牙』の台詞を引き合いに、次のような持論を展開する。
「判断やアイディアの発想は、それぞれの持ち味をどう活かすか。(誰かと)競っているうちは見えてこない。競争相手を超えるのでも、競うのでもなく、(自身や環境を)どう生かすか。それができたら、こうやって最高のチームにもなる」
これが結果に繋がる一つの答えであることは、コーチなき環境で一から築き上げ、世界で勝ち続けていることが何よりの証明だろう。
稼業を継いで欲しかった父親からの言葉
自信が持てるようになったのは、ONEに出るようになってからだと言う。PANCRASEで戦っていたときは自らの信念に邁進している一方で、世界の舞台に未だ立てていない歯がゆさと劣等感も。そして、金銭面などの現実的な不安もあった。ある日、実家に頼っていることに詫びるような言葉を父親の前で漏らすと、稼業を継いで欲しかった父親から意外な言葉が返ってきた。「金のことなんか気にしていたら強くなれねぇ」と。PANCRASEで日本チャンピオンになったとき、リング上から述べた感謝の言葉は真っ先に両親へ贈った。
今後、世界の頂点を目指すのは当然のこと、日本の米や愛する地元栃木県を世界に発信するビジネスチャンスも狙っている。食事は米食を中心に、好物のラーメンも食べたいものを食べ、サプリメントに頼ることはしない。また、格闘技ではつきものの減量もないという。手塚選手は「身長がもっとあったらヘビー級で戦いたかった」と話す。そもそも、求めるものが生物としての強さゆえ、減量による勝機のメリットを求めてはいない。さらに減量することで身体が消耗し、選手寿命が短くなることを挙げ、「こんなに面白いことはないし、長くやり続けたい。それに普段からしっかり食っている方が、強度の高い良い練習ができて強くなるんで」と話す。手塚選手は、基準を試合のみにフォーカスはしてはいないのだ。
オリジナルを持つものしか生き残れない時代へ
最後に、手塚選手の座右の銘を一つ。それは、漫画『刃牙道』に登場する以下の言葉だ。
努力する者が楽しむ者に勝てるワケがない(出典:板垣恵介『刃牙道 』189話)
手塚選手も過去を振り返れば、楽しめていない時期があったという。しかし今は違う。「強いやつはどこにいっても強い」という手塚選手。その言葉の通り、世界で戦う唯一無二の“日本の野獣・手塚裕之”の強さは、これからが本領発揮なのだろう。なぜなら彼は、科学でも解明しきれていない自然に答えを求め続けているからだ。
[著者プロフィール]
たかはし 藍(たかはし あい) |
スポーツメディア「New Road」編集部
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