「格上の相手にでも、勝てる可能性をあげることができる」。
1996年アトランタ五輪で当時弱小だった男子サッカーが、覇者・ブラジルに1-0で勝利した“マイアミの奇跡”。その裏には徹底的に相手を分析し、相手の弱点から勝機を見出した戦略があったと、スポーツ分析コーチの米澤穂高氏は話す。米澤氏は現在、主にオリンピック競技やパラ競技、プロスポーツ、学生競技で情報分析を用いたコーチングを行っている。これまで20種目以上を担当してきた米澤氏は元々モーグルの選手。現役時代より自ら情報分析を取り入れ、競技向上に役立てていたという。
現在、日本のスポーツ界でも情報分析が注目されている。2021年、東京大学の学生がプロ野球・福岡ソフトバンクホークスに「データ分析担当」として採用されたこともニュースになった。年々その技術は向上し、プロだけではなく一般人でも手軽に取り入れられるようになっている。しかし一方、そのメリットは、まだあまり知られていない。今回は15年前からいち早く情報分析を取り入れ、コーチングや選手育成も手がけている米澤氏にお話を伺った。
目次
データ分析とは選手が持つ感覚を磨くもの
情報分析はデータを用いて、選手の感覚的な部分と実際のパフォーマンスを一致させていくものです。「結果を出したい」「パフォーマンスを向上させたい」「自分の強みを伸ばしたい」という目的に沿って、客観的にその手助けをします。
以前は、選手の個々の感覚に頼る部分が主でした。非科学的な練習でも合致すれば良いのですが、間違った練習を積み重ね、気づけば結果が伴わず引退ということにもなりかねません。例えばオリンピック種目は、能力があれば金メダルを取れるまでに8年かかると言われます。しかし、8年って長いようで短いし、競技ができる期間も有限です。そこに情報分析を用いることで、効率性を上げることができます。
情報分析を活用して、特に伸び率が良いのは始めたばかりの選手やチームです。知らないことが多い時期に改善点を可視化することで、技術の習得が早くなります。トップアスリートならパフォーマンスの微調整、あるいは凝り固まった部分やクセの再調整にも役立つでしょう。
情報分析でできること
情報分析とは、「試合分析」「動作分析」「トラッキング・心拍数分析」「コンディショニング分析」を映像やデータとして可視化することです。
例えば「試合分析」は戦略に役立ちます。サッカーの一例として、相手の苦手なボールの軌道を探り、その軌道になるような戦略を組むことができるといったもの。まさに“マイアミの奇跡”と呼ばれる、日本がブラジルに勝利した歴史的な一戦は、この分析と戦略からです。サイドからロングパスをゴール前に蹴りこんで、相手のキーパーとDFの間にボールを落とす。そこでミスが起きやすいというデータから、そのポイントを狙う練習を繰り返したと言います。まさに、そのこぼれ球からゴールが決まりました。当時は今のような機材はないので、ビデオ撮影した映像から分析を重ねていたのです。
そして、「動作分析」はフォームや動作の改善に有効です。私が担当したモーグルの選手は、ジャンプの高さやエア演技のスキー板をクロスする角度、着地後いかにターンに素早く入れるかのスピードを測る際に使用しました。
撮影した動画を1分で分析映像として作り上げ、クラウドに上げます。選手がリフトで上がっているとき、映像を見ながらイヤホンでディスカッションしてスピーディにその場で改善していくのです。クロスしたが板の角度が90度以上ないと、より高い得点になりません。そのため、その場で実際の角度を確認するほか、着地した際にお尻が下がって(ディープランニング)1秒26のロスが起きているなど、分かりやすい映像と数字から気づきを与えて修正点を探ります。
「トラッキング・心拍数分析」は、例えばサッカー選手が試合でどれくらいの距離を走ったか、どれくらいのスピードで走ったかを見て、疲労状態などを考慮しながら「そろそろ交代させるか」と采配を振ることに用いられているものです。あるいは選手の持久力を測るのに、距離と心拍数を見て必要に応じたトレーニングメニューを組むことにも役立ちます。
「コンディショニング分析」は睡眠時間や食事の記録、メンタルの状態などをデータ化します。例えば女性の選手なら、月経やコンディションに合わせた試合起用の検討材料となるほか、怪我の予防や練習プログラムの構築、目標とする試合に向けたピーキングなどに活用されるものです。分析データはアナリストやトレーナー、栄養士など、日本では各専門家が別々に分析することが少なくありません。しかし私は、ケースに合わせてデータを相関的に使用しています。
実は、メンタルの分析にも有効です。本番に弱い選手について映像を比較してみると、結果が出ないときの目や身体の動き、呼吸の特徴を分析するなど、フィジカル面以外の分析もできます。
選手が“知らないこと”に気づかせる
そもそも、分析とは「知る」ことです。自分を知る、相手を知るなど、まずは気づきを与えることが一番の核になります。選手自身も「知らない」「気づいていない」ことが大半なので、そこに気づき、改善方法を求めることに情報分析は最大の効果を発揮します。
情報分析を用いる上で大切にしていることは、選手の自立性です。どのような練習メニューが必要で、どのように改善していくか。そういう実践部分は、基本的に選手や監督、チームコーチに任せます。もちろん一緒に改善点・方法を見つける手伝いはしますが、一方的なアドバイスはしません。なぜなら、情報分析に頼りすぎて感覚を失ってしまうことは、情報分析の最大のデメリットだから。それは絶対に避けなければいけないことです。
近年、スポーツ分析が注目され、世界中にアナリストと呼ばれる人、あるいはアナリストになりたいという人が増えました。それはとても喜ばしいことですが、注意すべきは分析ができたことだけに満足感を得てしまうことです。それは選手のためになっていないし、活用されていません。本来の目的は勝利に向かっていくこと、あるいはパフォーマンスを上げることであり、それを見失う傾向は避けなければいけません。
選手によっての能力は個人差があるため、私が最初に行うのは選手の分析です。どういう言葉が伝わるのか、コミュニケーションの中からお互いの共通言語を見つけます。世界トップの選手は感覚的な言葉や音、映像を見せただけで通じる部分がありますが、一般的には選手の競技経験や競技について教えてもらいながら言葉を選びます。
私はモーグルを高校1年生で始めるまでに、体操や水泳、剣道、サッカーをしていた経験があります。競技中、一見すると別々の競技でも、共通する身体の使い方やメンタルの整え方があることに気づきました。多種目の競技をコーチング担当できるのに、この経験がとても活きていると感じています。
最初の分析は選手にさせる
分析で気をつけなくてはいけないのは、押し付けにならないこと。ファーストインプレッションは必ず選手からもらいます。なぜなら気をつけていても、分析者の主観が入ってしまうからです。
映像の場合は、特に細心の注意を払います。映像は写真や文字より強く印象に残るので、逆効果になるケースがあるからです。苦手な部分や失敗した映像ばかり見せると自己肯定感が下がったり、そのプレーが印象づいてミスを起こしやすくなったりする可能性があります。そのため、分析を用いる場合は出すタイミング、シーズンオンなのかオフなのか、改善できる期間があるかといったバランスを見極めなくてはいけません。
また、データもすべて出すのではなく、そのタイミングに見合ったものを選択して提示するようにしています。分析を用いたモチベーションビデオの提示は、ある論文では試合90分以内は効果的なものの、2~3時間前だと効果が薄れるというデータもあり、状況を見ながら各選手に合わせているのです。チームと個人、男女差、競技レベル差、地域差もあるので、見極めながらコミュニケーションをはかっています。
データはあくまでもデータであるという前提
情報分析のデータは「できていないこと」を指摘するためのものではありません。情報は扱う指導者の質が問われ、その采配は技術がいくら発達しても人間がコントロールしなければいけない部分です。人間ですから、どんなに客観的に見ているつもりでも主観が入ってしまうもの。だからこそ、選手の主体性を第一優先にして鍛えていく必要があります。データを作成するのは大変ち密な作業ですが、コーチングの会話はラフな感じです。
情報分析の課題は、非科学的な競技に科学を用いてどう成長させることができるのかという、ある意味で矛盾する点にあります。大前提で、データ通りにはいかないことが大半です。どれだけち密に見えるデータでも、その日の状況やコンディションによって違います。ある程度ラフなものと捉えないと振り回されてしまうので、それで一喜一憂しないこと。情報分析の最大の目的は感覚を研ぎ澄ませていくことで、最大のメリットはなりたい自分になれることなのです。
ちなみに私がデータ分析で用いているのは、データ解析機材(PC)やソフト、アプリ、スマホなどの録画機材、またはデータ収集に応じた機械です。例えば心拍数の測定、走った距離の測定などの機材があります。情報分析ソフトは15年前、当時もっとも高機能なもので130万円ほどしました。しかし現在は価格がピンキリでサブスクリプション(定額払い)もあり、安くて1,000円〜、高いもので月35万円、さらにプロ競技向けは300万円台のものまであります。
たとえこのようなソフトやアプリがなくても、手書きでデータを残したりエクセルでデータを作成したり、スマホやタブレットで動画を撮影して編集することも可能です。ソフトを用いる最大のメリットは、編集・作業時間を減らせること。ですので、状況に合わせて選んで欲しいですね。
▼参照:スポーツ庁|『30』年後には運動部活動の生徒は半減する?!
米澤 穂高
1981年東京都生まれ埼玉県育ち。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士課程後期出身、スポーツ分析コーチ。幼少期よりスキーや水泳、体操、剣道、サッカーとさまざまなスポーツを経験。1997年、高校1年生からフリースタイルスキー・モーグルの選手として活動を開始し、翌年夏にカナダ・ウィスラーで当時日本代表コーチだったスティーヴ・フェアレン氏のコーチングを受け、本格的にモーグル選手として活動。FIS公認のモーグル大会等を転戦し、2007年に現役引退。
大東文化大学大学院アジア地域研究科博士前期課程へ進学し、テニスクラブのマネジメントについて研究してアジア地域学修士取得。同時期にJリーグアカデミーや浦和レッズのフィジカル測定スタッフとして活動。その後、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程へ進学し、そこで学んだ映像を活用したコーチングを活かして、多種多様な種目のコーチとしてチームや選手達へ指導。専門は映像を活用したスポーツの動作・ゲーム分析、コーチングでコーチやアナリストの普及・育成に携わると共に、大学の非常勤講師として現場で活かせるコーチング学を伝える。現在はスマイルスピリッツを起業し、ITを活用した分析とオリジナルのコーチング理論を用いた「勝ち習慣コーチング」を開発。スポーツ選手、あるいはスポーツを支えるチームスタッフや家族のコーチングやサポートを行い、目標達成へと導くため長野市を拠点に全国で活動中。
- NPO法人日本eコーチング協会副代表理事
- 一般社団法人食アスリート協会シニアインストラクター
- 児童スキー研究会理事
- 拓殖大学非常勤客員講師
- 国士舘大学体育学部非常勤講師
- 公益財団法人全日本スキー連盟フリースタイルスキー・モーグルA級審判員
- 一般社団法人日本ラクロス協会A級コーチ
- 日本スポーツアナリスト協会メンバー
[著者プロフィール]
たかはし 藍(たかはし あい) |
スポーツメディア「New Road」編集部
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