インドやパキスタン、バングラデシュなどの南アジア諸国で、数千年の歴史を持つ伝統ある国技として現在も親しまれている「カバディ」。狩猟がもとになったスポーツといわれており、紀元前、獣に対して武器を持たずに戦う技術と獣の襲撃から身を守る方法から生まれた。
日本ではまだ馴染みのないスポーツで、国内の競技人口は約5,000人といわれている。しかし、その大部分は男子選手が占めていて、女子の競技人口は僅か38人ほど。住んでいる地域も分散しているため、定期的に行われている日本代表の練習ですら、5人しか集まらないこともある。また、大学でカバディを始めても社会人になると仕事との両立が難しく、やめてしまう人が後を絶たない。
そんな中、競技歴7年目の女子日本代表・坂本夏実さんは日本女子カバディを盛り上げようと、新卒で入社した会社を退職。現在はカバディの広報活動に務めている。カバディに限らず、マイナースポーツの課題は多い。それでも自分の夢を叶えるため、練習以外の時間も競技に費やす坂本さんに、彼女が夢を持つに至った経緯やカバディの魅力についてお話を伺った。
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仕事を辞めてでもカバディに打ち込みたい
道具を一切使わず7対7で行うカバディは、鬼ごっことドッジボールが融合したような独自のルールを持つスポーツだ。攻撃側が相手コートに入り、守備選手にタッチすることで得点することができる。そして、試合終了時に点数の多いチームが勝利だ。特に特徴的なのが、攻撃時に「カバディ」と呟き続けながら相手を仕留めに行くこと。守備時は複数人でタックルして相手を倒すなど、格闘技のような一面もある。
小中学生の頃には、サッカーやバレーボールなど幅広い競技を経験したという坂本さん。高校にもバレー部はあったが、趣味の幅が広がったことから軽音部に入部してスポーツから離れた生活を送っていた。そんな坂本さんがカバディに出会ったのは、大学の部活動。初めはネタスポーツだと思っていたカバディだったが、体験して印象が変わり、やればやるほど深くのめり込んでいったという。
「例えばタッチひとつ取っても、方向や部位、タイミングと考えることが多い。奥が深くて、終わりがないんです。」
他の競技とは異なり、始めたばかりでも上を目指せることも魅力だったようだ。大学を卒業して社会人になった当初は、営業職に就きながらカバディを続けていた。残業も多く、競技に割く時間が少なくなっていく中、自分の状況に疑問を持つようになったという。
「なぜ、カバディの時間を削ってまで仕事しているのだろうと思いました。仕事にはとりあえず就いた方がいいとか、自分の意志ではない世の中の当たり前に囚われていた部分があったかのもしれないと。」
仕事を辞めるか悩んでいるタイミングで、坂本さんを動かす出来事が起きる。前日まで元気だった祖母が急に倒れてしまい、大きなショックを受けたのだ。
「人生って、こんな簡単に変わってしまうんだなと思いました。じゃあ、自分が今やってることは正しいのかなと。お金は欲しいし、活動するのに必要です。でも、それを稼ぐのは、どうしてもこの仕事じゃなければダメなのかを考えました。」
自分の気持ちを改めて確かめた坂本さん。その末に選んだのは、会社を辞めてカバディに打ち込むという決断だった。
「自分の身体を最大限に生かし、自分にしかできないことで世界に出る。今しかできないことをしようと思いました。自分の人生に迷ってる暇はありません。」
仕事をしてみたからこそ、「カバディがしたい」という自分の気持ちが浮き彫りになったようだ。
手に入らなかった世界への挑戦権
自分の意志で決断した坂本さんを、彼女を困難が襲った。仕事を辞めた途端にコロナ禍となり、練習も全然できなくなったのだ。そのときは本当に先が見えず、選択を間違えたとすら思った。世界と戦うこともできなければ、チームとしての練習もままならない状況が続く。それでも坂本さんは公園で自主練したり、ジムで筋トレしたりと個人での努力を重ねた。チームの練習が再開してからは競技と並行して広報活動を行い、体育館の予約や抽選、キャンセル、お金のやり取りなどもすべて担っていたという。
目標とするアジア競技大会まで1年を切った、2022年1月のこと。同年に中国・杭州で開催予定の大会へ、女子日本代表が出場できなくなったことが伝えられた。その理由は、前回のアジア競技大会で全敗していることや、競技の規模・人数が少ないというものではないという。
「この大会を目標に取り組んできたので、結構こたえました。大会に出場できない。でも、男子は出場できると言われて、そこもすごく突き刺さりましたね。男子だけ出られるんだなと。そのときは、これだけ頑張ったのに何も残らなかったなと思ってしまいました。自分にしかできないことで世界に出たい。それでカバディを選んでしまったのだから、もう取り返しのつかないことになってしまったなって。自分でどうにかできる問題ではないことが、一番辛かったです。」
世界の舞台に挑戦する権利すら与えられない。このことに、坂本さんはSNSで「本当に無気力でやりきれない」と悔しさのにじむ投稿をしている。
マイナーだからこそ伸びしろは未知数
女子日本代表にとっての悲報から半年。少しだけ気持ちを前向きに持っていくことができたという坂本さんは、4年後を見据える。
「少し時間を置いたら、色んな世界があるから、自分がやっていることも間違いではないのかなと思えるようになりました。本気で頑張っていれば、2026年のアジア競技大会には出られるかもしれない。可能性がまだあるので、今はギリギリまで頑張ろうと思えています。」
カバディはマイナースポーツゆえに、課題が多い。競技の認知向上や選手・スポンサーの獲得、試合の集客など、そのすべてを同時進行で解決しなければならない。そんな状況でも、これまで苦境を乗り越えてきた坂本さんは前向きだ。
「マイナーだからこそ、伸びしろは未知数です。テレビやSNSなどで露出を増やし、知ってもらうきっかけを作りながら取り組んでいこうと思っています。」
そして、チームの状況も変化している。SNSの使い方を学ぶ機会を設けたり、カバディの体験会兼合宿を企画したり。坂本さん以外の代表メンバーから、積極的に自分たちの活動を広げていく動きが見られているのだ。
「これまでは『やってやるぞ』と思って、一人で突っ走ってきました。でも、これからは広報活動など、みんなの力を合わせないといけないと考えています。」
大きな挫折があったからこそ、コートの外でもカバディはチームスポーツであることをより強固に感じているようだ。
カバディ魅力は「守備で点数が入る」こと
カバディの魅力に挙げられるのが、守備で点数が入るスポーツであるということ。カバディは、相手の攻撃を抑えるとチームに1点が追加される。これについて、坂本さんは次のように話してくれた。
「攻守ともに得点できるからこそ、どちらかがダメでも、もう片方がある。他のスポーツより、試合の展開がわからないのも面白さの一つです。守備で点を取ると、そこから流れが変わることもあります。また、攻撃時は一人なので、自分の考えが直接プレーに現れるんです。相手との距離感や、相手をどういう風に動かしてタッチできる環境を作るかなど。頭の中で考えて、それを実行していけるのが攻撃の魅力ですね。攻撃は個人競技で、守備はチーム競技。2つの要素が一挙に味わえる、スポーツの美味しいとこ取りな競技なんです。」
月に一度、日本カバディ協会主催のカバディ体験会が行われている。2022年4月には東京・十条で第60回目の体験会が行われ、女子だけで8人の参加者がカバディで汗を流した。実際に参加すると、最初は「カバディ、カバディ…」とつぶやくことに多少の恥じらいがあるかもしれない。しかし、慣れてくれば集中することができる。実際に体験会に伺ってみると、最初は日本代表選手たちのプレーを見て「怖い」と言っていた参加者も、タッチを練習したりディフェンスのやり方を丁寧に教えてもらったりすると、最後は自ら相手の足を掴みにいけるまでに成長していた。代表選手が丁寧に教えてくれる体験会は、贅沢な機会だと言えるだろう。
まだまだ国内では競技人口が少ないカバディ。だからこそ、始めた人すべてに世界へのチャンスはあると坂本さんは言う。
「簡単に代表になれるわけではないけど、本気で代表を目指したいと思って取り組めば可能性はあります。本気でやりたい、本気で世界を目指したい。そんな人と一緒に、カバディができたら嬉しいです。」
自分の意志を貫き、逆境を乗り越え続ける坂本さん。これからカバディを知る新たな選手たちと、2026年のアジア大会を目指していくのだろう。
坂本夏実
大学の部活動でカバディと出会い、競技歴は7年目。2019年にはカバディ日本代表のキャプテンに就任した。翌年の台湾遠征では、全試合レギュラー出場。現在は2026年のアジア競技大会に向けて代表の中心となり活動している。
元女子サッカー選手・なでしこリーガー。現役中はnoteでの活動を中心に発信。引退後はFCふじざくら山梨のマッチレポートの執筆を行う。現在はフリーライターとして活動中。