ジョギングを習慣とする人にとって、冬はやや憂鬱な季節だ。「暑い夏よりはマシだ」と思う人もいるかもしれないが、凍えそうな指でランニングシューズの紐を結ぶときには、やはりそれなりの覚悟が必要となる。防寒着、手袋、帽子、場合によってはフェイスマスクなど、暖かい季節には不要の装備を身につけざるを得ない。このことも、ランナーのモチベーションを下げる要因になるだろう。
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走るために最適の気温は意外に低い
人間の身体は、外気の気温に対応するようにできている。簡単に言えば、我々の体には体温を調節する仕組みが備わっているのだ。暑いときは体を冷まし、寒いときは体を温める。その機能を使って、人は暑い夏でも寒い冬でも走ることができる。
寒いときに走ると体内で熱が生産される。走り始めたときは体が冷え切っていても、走り続けているうちに体がぽかぽかしてくる感覚は、ランナーなら誰もが経験しているだろう。逆に、暑過ぎると体温を冷却する機能を働かせるわけだが、それよりは寒いときの方が走りやすいと感じるランナーは多いのではないか。実際のところ、市民ランナーがマラソンでベストタイムを出すために最適の気温は、摂氏7度であるとした研究(*1)がある。
*1. Impact of Environmental Parameters on Marathon Running Performance.
研究者らは、2001年から2010年までの10年間に行われた6つの大都市型マラソンレース(パリ、ロンドン、ベルリン、ボストン、シカゴ、ニューヨーク)について、全完走者の記録とレース時の天候要因との関連を解析した。つまり対象となったレースは60個、ランナー数は述べ約180万人という大規模なデータを用いた調査だ。天候要因には気温のほかに、湿度、露点温度、そして海抜大気圧が含まれた。
その結果、マラソンに最適の気温は前述の通り摂氏7度であったが、摂氏3度から10度までの範囲なら自己最高タイムが出る確率が高くなるそうだ。気温がその範囲に収まらない場合は、体温を調節するために必要とされるエネルギー量が大きくなり過ぎるらしい。
個人的には、ガタガタと寒さに震えながらスタートを待たなくてはいけない季節のレースは好きではない。しかし、記録を出すことを考えると、マラソン大会の多くが冬に行われることは理にかなっているというわけだ。
極限の寒さで行われるマラソン大会
とは言うものの、やはり寒過ぎるときに外を走ることは、健康に良くないと考えるのが自然だろう。ただ精神的につらいだけではなく、風邪を引く恐れもあるし、筋肉や関節に故障のリスクも高まる。
人によって耐えられる寒さへの基準はさまざまだろうが、筆者などは氷点下ともなるとさすがに無理だ。そのような日は、外を走ることはあきらめる。自分がとくに軟弱だとは思わないが、一般的な常識から大きく逸脱していないという自負もある。ところが、世の中にはそうした常識の枠を苦もなく(ではないのかもしれないが)飛び越える人が必ずいる。
2022 年 12 月 13 日、「第17回南極アイス・マラソン」(*2)が南極点から僅か数百キロ、南緯80度の位置にあるエルスワース山脈のふもとで開催された。南極大陸でマラソンを走ろうとするランナーが現実の世界にいるのだ。
2020年は新型コロナウイルスの影響で中止になった以外、第1回の2005年から毎年行われているこのレース。大会ウェブサイトによると、平均体感温度は摂氏マイナス20度とのことである。
寒さだけではない。何しろ南極大陸に行くのだから、かかる費用も一般的なマラソン大会とは比較にならない。2022年度の参加費はなんと19,500米ドル(約292万円)。それにはプンタ・アレーナス(チリ)からレース地点までの航空費は含まれるが、そこに辿り着くまでの旅費も当然ながら必要だ。
人の情熱というものは計り知れない。昨年(2021年)のレース結果を見ると、フルマラソンの完走者は男性44人、女性12人。このクレイジーなランナーたちの国籍はさまざまだが、やはりと言うべきかアメリカ人がもっとも多い。そして、ひとりの日本人男性も含まれている。一体、どのようなトレーニングをして、どのような装備を整えれば、この極限のレースを走ることができるのか。尋ねてみたいと思うのは、筆者ひとりではないだろう。
アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。