日々の運動がメンタルヘルスを向上させることはよく知られている。2018年に医学雑誌「The Lancet」に発表された研究(*1)によると、定期的に運動をする人は1か月の間に気分が優れないと感じる日数が、運動をしない人に比べて平均して1.49日(43.2%)少ないとしている。これは、120万人以上のデータを解析した大規模な研究だ。
しかし、運動はメンタルヘルスの万能薬ではなさそうだ。テニスの大坂なおみ選手や体操競技のシモーネ・バイルス選手の例に見られるように、鬱やモチベーション低下などメンタルヘルスの問題に悩むアスリートは後を絶たない。肉体的な強さとメンタルヘルスの間にも関連はないのだろう。なにしろ、世界でもっともタフな男の一人であるはずのヘビー級ボクシングWBC世界王者タイソン・フューリーも長い間メンタルヘルスの悩みを抱えて、自殺衝動に駆られたことも度々あったと告白している。本来は楽しくあるべきスポーツがメンタルヘルスの問題を引き起こすこともあるのは残念だが、そうした事例は他にも数多く報告されている。
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心理的な悪循環を引き起こすセルフトークの例
2022年11月にスポーツ心理学雑誌「Psychology of Sport and Exercise」に発表された研究(*2)は、むしろアスリートには試合の勝敗や故障のリスクなど、特有の心理的ストレスが発生しやすいことを指摘した。
研究者たちは幅広いスポーツの種類、競技レベル、年代に分かれた400人を超えるアスリートを対象に、彼らの心理的問題や生理的反応をREBT-I (Rational Emotive Behavior Therapy – Integrated )と呼ばれるモデルにあてはめて解析。論理的な思考が、感情や行動に繋がることを重視した心理療法のアプローチだ。そして、アスリートたちが自分自身に話しかけるフレーズ、いわゆるセルフトークとメンタルヘルスとの関係に注目した。
研究者たちはアスリートが自信を失うときに、非合理的な考えにとらわれる傾向があるとしている。そうなると、不安や鬱の症状にかかる危険が増大する。そうした傾向のあるアスリートには、以下のようなフレーズがセルフトークに表れることが多いということだ。
- 私がこのスポーツに向いていないと思われる
- 私には価値がない
- 誰かにポジションを奪われるかもしれない
- きっと失敗してしまう
こうしたネガティブなセルフトークを繰り返すようになる頃には、アスリートは自分を信じられなくなり、よりネガティブな思考に囚われることになると研究者たちは述べている。
ネガティブなセルフトークをポジティブに置き換えるには
それではどうすれば良いのかとなると、これは簡単ではない。論文著者らは心理学者であってもカウンセラーやコーチではないようで、メンタルヘルスへ悪影響を及ぼすネガティブな思考の循環から抜け出す対策を授けてはくれない。論文の結論は「アスリートたちの間で発生する競技上の不安や鬱の症状リスクを軽減するためには、特有の不合理な思考を減らし、自信を高めるための戦術を実行するべき」で終わっており、具体的な戦術の中身についての記述はない。
筆者が思いつく心理的戦術は、自分で勝手に成功イメージを思い込むことだ。あるいは、これも根拠のない不合理的な考えなのかもしれないが、経験知からすると実害はない。ネガティブなセルフトークをポジティブなものに置き換えて、それが口癖になるまで、あたかもマントラを唱えるように繰り返す習慣を無理やりにでも作ってみるのはどうだろうか。「俺は出来る!」でも「ゴー!ゴー!ゴー!」でも、何でもよい。なるべく短く単純で、かつ自分にとってポジティブなフレーズを決め、運動中に頭の中で意識的に繰り返してみるのだ。他人の目を気にしないのであれば、大声で叫んでも構わない。
それが練習中の苦しいときであれ、試合の重要な局面であれ、さまざまなシチュエーションで同じセルフトークが自然に出るようになればしめたものだ。もちろん、それでも自分で解決できないと感じることはあるだろう。そうしたときは周囲のチームメイトやコーチ、家族、友人、あるいは専門のカウンセラーなど、誰でもいいので相談することを躊躇ってはいけない。
アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。