FAでDeNAから巨人に移籍した梶谷隆幸が、古巣との一戦で移籍後初安打となる満塁本塁打を放ち、チームを勝利に導いた。今シーズン、巨人にはFAで獲得した2人の選手が加わった。ともにDeNAに所属していた梶谷隆幸外野手と井納翔一投手。1993年に導入されたFA制度により巨人が獲得した選手は、これで28人となり、2番目に多いソフトバンクの13人を大幅に上回る数だ。
これまでの成績を評価されて、巨人に移籍した28人の選手たち。内訳は野手、投手ともに14人となっている。野手は移籍1年目から活躍してきたのか。全14人の野手の成績を移籍前年と比較して、巨人での貢献度を見ていく。上が移籍前年、下が移籍1年目の成績。カッコ内は移籍前に所属していた球団。
目次
◎落合博満(中日)
1993年 119試合 打率.285 本塁打17 打点65
1994年 129試合 打率.280 本塁打15 打点68
巨人での通算成績は3年間で、352試合、打率.296、本塁打53。ロッテと中日で計3回の三冠王に輝いたキャリアからはやや物足りない数字だが、勝負強さは健在で、40代の成績としては驚異的といえる。
◎広沢克実(ヤクルト)
1994年 130試合 打率.271 本塁打26 打点73
1995年 131試合 打率.240 本塁打20 打点72
ヤクルトの不動の4番だった広沢は、巨人移籍前の1994年まで5年連続25本塁打以上をマーク。1991、94年には打点王のタイトルも獲得した。巨人では5年間のうち、100試合以上出場したのは2シーズン。本塁打も1997年の22本が最多で、3シーズンは1ケタに終わった。
◎清原和博(西武)
1996年 130試合 打率.257 31本塁打 84打点
1997年 130試合 打率.249 32本塁打 95打点
巨人移籍1年目は4番に座り、存在感を見せた。2年目の1998年からの3年間は故障で戦列を離れることも多く期待を裏切ったが、5年契約最終年の2001年は130試合で打率.298、本塁打29、打点121と復活。自身初のシーズン100打点を達成し、オフに4年契約を勝ち取った。しかし、この4年間はけがに悩まされ、2003年を除いてはほとんどチームの力になることはできなかった。
◎江藤智(広島)
1999年 121試合 打率.291 本塁打27 打点79
2000年 127試合 打率.256 本塁打32 打点91
広島では本塁打2回、打点1回のタイトルを手にした。巨人移籍1年目は打率が上がらなかったが、勝利打点はリーグ最多。本塁打と打点も前年を上回る勝負強さを発揮した。翌2001年は打率.285、本塁打30、打点87と安定した成績を残し、2年連続のベスト9に輝いた。以降は打撃不振もあって、出場機会が年々減少。巨人最終年となった6年目のシーズンは81試合の出場にとどまり、オフに豊田清の人的補償で西武に移籍した。
◎小笠原道大(日本ハム)
2006年 135試合 打率.313 本塁打32 打点100
2007年 142試合 打率.313 本塁打31 打点88
本塁打と打点の2冠王となった2006年オフに巨人に移籍。1年目から3番打者としてチームを引っ張り、2年連続のMVPに輝いた。セ・パ両リーグでの受賞は江夏豊以来、2人目の快挙だった。日本ハムの最終年を含み、2010年まで5年連続「3割・30本」を達成した。2011年は故障と打撃不振で、83試合にとどまり、打率.242、本塁打5。1998年以来、13年ぶりに規定打席に届かなかった。翌年以降もけがとスランプで出場機会が減り、2013年オフに7年間在籍した巨人を離れて中日に移籍した。
◎村田修一(横浜)
2011年 144試合 打率.253 本塁打20 打点70
2012年 144試合 打率.252 本塁打12 打点58
横浜では不動の4番として、2007、08年に2年連続で本塁打王に輝いた。巨人移籍1年目は全試合に出場したものの、本塁打は自己最少の12本に終わった。しかし、2年目は自己最多の164安打を放ち、5年ぶり2度目の打率3割をクリアした。その後は、2014年と2016年は143試合に出場。一方、2015年と2017年は先発を外れることが増えた。6年目のオフとなった2017年、チームの若返りを理由に戦力外通告を受けて退団した。
巨人にFA移籍した野手後編に続く。後編は史上初めて人的補償で他球団に移籍後、巨人にFAで復帰した選手や、5年契約最終年の今シーズンが背水の陣となる走攻守のそろった選手ら7人。
スポーツメディア「New Road」編集部
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