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◆ダル「1球で肩もげる」魔球

“魔球”を武器にプロ初勝利を挙げた。ソフトバンクのプロ4年目左腕・田浦文丸が11日の楽天戦に3番手で登板。2回を1安打無失点と好投し、白星を手にした。6回1アウトから四球で走者を出したが、楽天の4番・浅村栄斗を得意のチェンジアップでサードゴロ、続く鈴木大地をストレートでセカンドゴロに仕留めた。

 

このチェンジアップは、パドレスのダルビッシュも認める“魔球”。2019年に1軍デビューした田浦の映像を見た際「俺だったら1球で肩もげる」と表現した。

 

同じソフトバンクで有名な“魔球”といえば、千賀滉大の代名詞「お化けフォーク」。ストレートだと思った軌道から急激な落差で落ち、打者の視界からボールが消えることから名づけられた。

 

魔球という言葉を聞いて、どの投手のどんな変化球を思い出すのか。世代によって違うだろう。順位をつけるのは難しい。「3段ドロップ」と呼ばれた沢村栄治のカーブは、一度浮き上がってから何度かブレーキをかけるように曲がりながら落ちたという。

 

◆時代ごとに存在する魔球

平松政次のシュートは、切れの鋭さから「かみそりシュート」と名付けられた。全盛期は、ど真ん中に見えたボールを右打者がスイングすると体に当たるほど変化し、その球速は「150キロ近かったのではないか」と話す打者もいる。

 

その他にも、伊藤智仁のスライダーや塩崎哲也のシンカーなど、わかっていても打てなかったと打者が嘆く魔球は、時代ごとに存在した。そんな中、ユニークな“魔球”を操った投手の筆頭は小宮山悟だ。

 

ナックル以外は投げられると言われるほど、変化球を自在に操った小宮山。ロッテ時代の2005年に完成させたのが「シェイク」だった。フォークボールのように人差し指と中指で挟み、ナックルのように回転をかけずにボールを押し出す。球速100キロにも満たないボールは、不規則に変化した。特にロッテの本拠地は風が強かったことから空振りを奪う場面もあったが、変化せずに痛打されることもあった。

 

球史に残る“魔球”は、日本ハムでプレーした多田野数人の「イーファスピッチ」。山なりの軌道を描く超スローボールだ。2014年6月1日の阪神戦。3点をリードされた8回、先頭のゴメスを1ボールと2ストライクと追い込んだ多田野の4球目だった。画面から消える高さに投じられた超スローボールに、ゴメスは虚を突かれてスイングできず、捕手はど真ん中で捕球。しかし、判定はボールだった。多田野はシーズンを通じて何度か、この“魔球”を投じたが、あまりの遅さに球速が測定できなかった。

 

◆ダルビッシュは11種の変化球

現役の日本人選手で最も多くの変化球を操るのは、今シーズンからパドレスでプレーするダルビッシュで異論はないだろう。アメリカのメディアでは昨シーズン、68マイル(約109キロ)のスローカーブから、96マイル(約155キロ)のフォーシームまで、11種類の変化球を投じたと分析されている。

 

残りの球種は「シンカー」、「ハードカッター(カットボール)」、「ソフトカッター」、「スプリット」、「チェンジアップ」、「ナックルカーブ」、「スローカーブ」、「スライダー」。そして、あまり聞きなれない「スプリーム」だ。

 

「スプリーム」は「ツーシーム」と「スプリット」の間の変化球。ストレートの軌道から、右打者の打席に向かって急速に沈む。サイトでは、その球速を93マイル(約150キロ)と報じている。

 

ダルビッシュは日本ハムでプレーしていたときには、「ワンシーム」も持ち球にしていた。1本の縫い目(シーム)に人差し指と中指を挟むようにして握り、ストレートとほぼ同じ球速から打者の手元で突如沈む。ツーシームと同じような軌道を描くが、変化は大きいといわれている。打者を翻ろうし、ファンを沸かせる「魔球」には、投手の向上心や苦労が詰まっている。

By New Road 編集部

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