多くの国民の疑問や不安が解消されないまま、東京五輪の開幕まで1カ月余りと迫っている。
10都道府県に出されている緊急事態宣言は、沖縄県を除いてあさって20日に解除され、東京など7都道府県は「まん延防止等重点措置」に移行される。東京の新型コロナウイルスの新規感染者数は連日、前の週の同じ曜日を上回り下げ止まりの状況。感染が収まっているとは言えないが、7月以降の大規模イベントの観客を1万人まで認める案を専門家に示している。
政府や組織委員会は、中止や延期を求めている世論の声が聞こえていないかのように“強行開催”の姿勢を変えていない。ただ、使わなくなったフレーズがある。「アスリートファースト」。
これまでは開催を目指す理由に「アスリートのため」と繰り返してきたが、ここ最近は「アスリートファースト」が“NGワード“になっているという。在京テレビ局の政治部記者は、そこには2つの理由があると説明する。
1つ目は五輪代表チーム関係者やスポンサーからのクレーム。代表選手のワクチン優先接種や、選手村への酒類持ち込み容認などが明らかになると、一部の国民による怒りの矛先が非のないアスリートに向くようになり「世論は政府や組織委員会に不信感や憤りを持っている。その人たちが選手を慮るようにアスリートファーストという言葉を使うのは逆効果。選手側から組織委員会の関係者へ安易にアスリートファーストと言わないでほしいという趣旨の訴えがあったと聞いている」と話す。
もう1つの理由は「責任回避の印象」だ。今や五輪に反対する国民の多くは「何が何でも五輪をやりたいのはアスリートではない」との認識を持っている。IOCやJOCであり、政府であり組織委員会が“強行開催”に動いていると考えている。それにもかかわらず「アスリートファースト」と口にするのは、“責任転嫁”に映る。
実際、インターネット上には「誰のための五輪なのか」、「何のための五輪なのか」というコメントが溢れている。「アスリートのため」に関係組織が動いていると思っている国民は、ほとんどいないだろう。
アスリートファーストと口に出せなくなった五輪開催に、どんな意義があるのか。言葉にしなくても理念は忘れないでほしい。
スポーツメディア「New Road」編集部
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