挑戦し“続ける”者の原動力とは、何なのだろうか。ボクシング世界WBOライトフライ級王者・天海ツナミ選手はプロボクシング歴16年のキャリアを誇り、数々のタイトルを手にしながらも、戦績が振るわない苦汁も味わってきた選手だ。そんな天海が、キャリア大一番となる米国での一戦を迎えた。この一戦を手にすれば、さらなる高みに立つことができる。しかし王者にも関わらず、天海選手が置かれたのは圧倒的不利の立場。アウェイ地で挑戦する天海の姿を追い、試合を終えた天海の口から出た意外な言葉とは……
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世界王者のベルトを引っさげて乗り込むアウェイでの一戦
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」は、ボクシングについて世界でもっとも有名な一文と言えるだろう。これを体現する数少ない女性選手の一人が、WBO世界ライトフライ級王者・天海ツナミ選手。抜群の距離感と巧みなディフェンス力が光り、その試合は観る者を魅了する。
2021年7月9日(日本時間7月10日)、米国カリフォルニア州で天海が持つWBO世界ライトフライ級王座の防衛戦が行われた。対する相手はWBAミニマム級王者・セニエサ・エストラーダ(アメリカ)で、階級を上げての挑戦。2020年7月に行われた試合で「7秒KO」という女子史上最短KO記録を打ち立て、戦績は20戦無敗(8KO)と名実共に注目されている選手だ。
米国でも女子ボクシングの人気は高まりつつある。今回の興行主のプロモーターは、世界3本の指に数えられるビッグプロモーターのゴールデンボーイプロモーションズ。セニエサはゴールデンプロモーションズに所属し、今もっとも売り出していきたい選手だ。セニエサが天海のベルトを手にすれば、世界2階級制覇の偉業を成す。このゴールデンプロモーションズの思惑はわかりやすい。
天海は王者であり、本来ならば迎え撃つ構図であるはず。しかしアウェイの地において、この構図は成り立たない。この状況をくつがえす試合をみせるしか、天海がベルトを防衛する手段はないのだ。
サッカーなでしこジャパンを志す道からボクシングに転向
天海が地元の鹿児島県から上京したのは、サッカー選手になるためだった。小学校でサッカーを始め、高校で全国大会に出場した。しかし選手になることを志して上京したものの、ツテもあてもない。ひざの怪我を抱えながら、入団テストを受けては所属先を模索する日々を送っていた。
そんなとき、サッカー部で同期だった友人がボクシングに転向。そして天海も20歳のとき、ジム合宿生として門下入りした。7人兄弟で2番目の次女として生まれ、兄弟が多いゆえ金銭面の苦労も絶えなかった天海。ボクシングを始めることには、次のような考えがあったようだ。
「ボクシングはファイトマネーがもらえる。母親に恩返しができるかもしれない。」
当初は相手を殴ることに戸惑い、試合を想定したスパーリングの練習では一方的に打ちのめされていた。「友人の練習相手になっているのなら…」と、プロを目指す友の背中を追うのに必死だった。しかし2年ほど経ったある日、練習でパンチが見えるようになった。そのときに「あ、ボクシングを続けられるかも」と思ったという。
本人の回顧とは裏腹に、天海は当時からその頭角をあらわれていた。2008年2月にJBC 認定プロデビュー(※JBC傘下に置いて)すると、翌年2009年にはWBAスーパーフライ級王者タイトルを奪取。当時のJBC世界王者最年少記録を打ち立てている。その後も数々の世界タイトルを手にし、往年のボクシングファンをもうならせる女子ボクシングを代表する選手の一人になった。
一方で、天海選手の41戦のキャリアのうち、12敗は海外での戦績(メキシコ7度、チリ1度)を含む。海外アウェイで打ち勝つには、倒しきる攻撃力が必要だ。ディフェンスには定評のある天海がキャリア16年の中で、もっとも課題とされている点である。
キャリアの集大成、ボクシング本場米国でのビッグマッチ
試合時間は現地時間で、午後6時30分をとうにまわっていた。ビッグスタジアムBanc of Californiaの屋外に設置されたリング。大観衆の声援が響き、黄金のマントをまとったセニエサがリングインすると、続いて王者・天海選手がリングインした。白金に染められた髪にゴールドと黒を基調としたコスチュームは、王者としての品格をより際立たせる。アウェイの洗礼は過去に何度も味わったことがあり、今さら動じることはない。集中すべきは、ただ一点。この勝負を支配してリングを降りること…
ゴングが鳴った。コーナーから駆け出すようにセニエサは天海につめ寄り、ジャブを放って距離を縮める。天海はステップを使い、自分の距離を瞬時に測る。小刻みに前手でフェイントをかけ、安易にセニエサを懐に入れさせない。セニエサはパワーのある攻撃を見せつつも、巧みにスイッチしながら慎重に試合を組み立てる。
2ラウンド。攻撃を紙一重でかわし続ける天海。単発の攻撃が通用しないと読んだセニエサは、突破口を見出そうと攻撃をつなげはじめる。天海は急所を外しながら、セニエサの打ち終わりを狙う。攻撃をもらったセニエサの頬が赤くなりはじめた。
「ディフェンス力だけではポイントにはならない」
天海は自身の課題を熟知している。セニエサの力強い攻撃のコンビネーションと、その隙間を天海が突く試合展開がつづく。
試合後半、勢いが止まないセニエサに対して天海が打開策を見出すかのようにボディを織り交ぜたコンビネーションをつなげれば、セニエサも応戦して同じ手をみせつける。天海は距離を詰めてでも打ち取りたい構え。しかし直線的な動きが目立ち、的を絞りやすくなったセニエサに、攻撃をまとめられてロープを背負うシーンが増える。8ラウンドに入ると、セニエサの消耗も著しく見え始めた。手数が減り、構えのスイッチを頻繁に行う。天海はボディでセニエサをとらえながら、セニエサに決定打を許さない。
最終10ラウンド。セニエサは精度よりも攻撃の手数を優先し、最後の猛攻に出る。天海は足の踏ん張りがきかず、上体が浮く場面が何度か見られたが、前に出てはセニエサの打ち終わりを仕留めていく。両者最終ラウンドまで一歩も退かず、試合終了のゴングが鳴り、試合の結果は判定に委ねられた。
コーナーに戻り笑顔のセニエサと、一点を見つめ続ける天海。観衆が固唾を飲んで見守る中、リングアナが中央に立ち「99-91、98-92、98-92」と判定を読み上げる。そして響いたのは、「New(新チャンピオン)」の声とともに勝者セニエサの名前だった。祝福の大歓声に包まれ、セニエサの腰に新しいベルトが巻かれた。
引退をしようと思っていたが、新たな景色を見たくなった
天海は帰国後、一人で試合映像を見直した。課題だった攻撃の手数について、「試合中に感じていたより、(手数が)出ていなかった」と話す。そして「今回の敗戦で自身の課題がわからなくなった。何を強化すれば良いのか……。理想が高すぎるのかもしれないけれど」と、視線を落とした。敗戦はネガティブな思考に陥りやすくなる。天海は「今は自分に足りないと思っている部分を、一つひとつやっていくしかない」とゆっくり視線をあげる。
「負けたら引退を考えていた。金髪にしたのも、ここまで染められることも今後少なくなるかと思って。でも今回の試合で、ボクシングを始めたときにファイトマネーだけで生活できる世界、20歳で目指した世界に、やっと今立つことができたのかもしれないと思えた。負けてしまったけれども、新しい出会い、新しい世界を見て、もしかしたら、もっと強くなれるのかもしれない。まだ試していないことがあるのかもしれないと思った。」
試合のようなアグレッシブな場面においても、常に冷静沈着である性格がボクシングには不向きだと天海は自認し、所属ジムの山木会長からも「足りない部分」だと指摘されている。世界王者と一言で言っても、選手の個性や道のりはさまざまだ。「今まで褒められた試合はない」と言い切る天海が理想とする、華麗で魅せるボクシング。そこへの道のりこそ、今年37歳を迎えるキャリアの再構築の機会に差し掛かっているのかもしれない。
「ボクシングはそこまで魅力ある競技?」
この問いに、天海は「サッカーより好きになりました。性格的には向いていないけど……」と笑う。がむしゃらさが足りないと話す天海だが、肉体・精神ともに練習で極限まで追い込み、試合までにパフォーマンスのピークを作り上げていく。本人が納得する心技一体の戦い方が見られる日は、その歩みを止めない限り、必ずや見られるのではないだろうか。
・天海ツナミ(本名:有馬真波)【Facebook】【Twitter】【Instagram】
[著者プロフィール]
たかはし 藍(たかはし あい) |
スポーツメディア「New Road」編集部
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