勝利が確定した瞬間に選手がガッツポーズする。苦しい練習に耐え、食事や生活を制限し、厳しい戦いで勝利を手にしたのですから、全身で喜びを表現したくなるのは当然でしょう。観戦している人にとっても感動的な場面ですし、勝利の雄叫びをあげる選手の気持ちは十分に理解できます。
ですが、剣道の勝者はガッツポーズしません。剣道の試合で勝利が確定した瞬間に選手が喜びを表現すると、審判によって即座に勝利が取り消されることになります。これは各都道府県の代表が集う全日本剣道選手権大会でも、地域の子どもたちが集まる小規模な剣道大会でも同じです。なぜ、剣道の勝者はガッツポーズしないのでしょうか。これについて、今回はお伝えさせて頂きます。
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剣道の勝者がガッツポーズしない理由
剣道には「打って反省。打たれて感謝。」という教えがあります。「打って反省」とは、もし相手を打って勝ったのならば、打ち方のフォームは適切だったのか、あるいは勝ち方は最良だったのかなど結果を振り返って反省し、常に改善・向上に努めなさいという教えです。そして「打たれて感謝」とは、相手に打たれて負けたならば、自分の弱点を相手が打って気付かせてくれたと考える。だから、相手に感謝しなさいという教えになります。そしてこの教えの下では、ガッツポーズしている暇がないということになるのです。
また、剣道は現役寿命がとても長い競技です。小学校の就学前後から始めることができる一方、高齢になっても稽古を重ねて成長し続けられます。例えば2021年11月24日に行われた剣道七段審査会(剣道七段として全日本剣道連盟から認定を受けるための実技試験)で、最高齢合格者は87歳の方でした。もはや、生涯現役と言っても過言ではありません。長い剣道人生の途中である高校生や大学生、あるいは30・40代で刹那的な強さを求めるより、生涯で自分をどこまで高められるか意識した方が意義深いということになります。自分の成長のピークがまだまだ先だと考えると、目先の1勝でガッツポーズなどしていられません。
あるいは、もっと根本的な理由もあります。剣道はもともと刀を持った者同士の斬り合いを源流としたもの。刀を持った者同士が斬り合い、勝負している場面を想像してみてください。どちらか一方が勝者として立っていたならば、その相手は目の前で瀕死の状態でしょう。もしかしたら息絶えてしまっているかもしれません。剣道では刀ではなく竹刀(しない)を持ちますが、刀を持って斬り合うつもりで勝負しなさいと教わります。たとえ自分が勝ったとして、相手も命をかけるほどの覚悟を決めて勝負に挑んだわけですから、勝者は相手に敬意を払うようにも教わるのです。こうしたことからも、やはり剣道にガッツポーズはそぐわないでしょう。だからこそ剣道には、武士や侍のスピリットが生きているようで魅力的ではないでしょうか。
他にはない剣道特有の魅力
ここまで、なぜ剣道の勝者がガッツポーズしなのかご説明しました。実はここからが、私自身で感じている剣道の魅力についてのお話になります。
勝った喜びを形式的に表現しないだけなら簡単です。喜びを表現すると審判によって勝ちが取り消されてしまうので、剣道家は誰もが勝ってもガッツポーズしません。しかし、“ガッツポーズしない”ことを本質的に実践するのは、とても難しいと私は感じています。
剣道の勝負でも相手に勝てば嬉しくなるし、負ければ悔しいもの。「打って反省。打たれて感謝。」ではなく「打たれて反省。打って感謝。」になってしまいます。剣道人生は長く、成長のピークはまだまだ先。だから姑息な手段で目先の勝ちを狙うのではなく、正統な手段で勝負し続けて将来の成長につなげたい。でもその一方で、やはり負けたくない。勝つことで、自分の方が強いと証明したくなるものです。あるべき剣道家の姿は理解しているつもりでも、ふと自分の心をコントロールできなくなる。相手との競争や他者からの評価を求めてしまう自分もいます。
そう。本音と建前とが共存し、自己矛盾してしまう。この自己矛盾との葛藤こそが、私が考える剣道の大きな魅力の一つです。
たとえ相手に勝ったとしても、相手のコンディションは日々変動します。相手との比較で自分の満足や価値を測ろうとすると、相手という基準が一定ではありませんから、自分の満足や価値は相手のコンディション次第と言えるでしょう。
一方、自分が積んできた稽古によって、自分が変化した点にフォーカスするとどうでしょうか。稽古を積んできたこと、そして稽古によって変化したことも事実です。昨日の自分と今日の自分との変化に着目できれば、揺るぎない基準をもとにした安定的な自己肯定感が得られます。
剣道の教えは、人生という長い期間をかけてこの自己矛盾と向き合い、自分軸を確立すること。そして、他者との比較や他者からの評価に依存しない、真の自立した人間を目指すことを説いているのだと私は解釈しています。これは、格闘技的側面と禅的側面を併せ持った剣道特有の魅力です。そして、私が立ち上げた剣道LABOがクライアントとマンツーマンであること、映像による定点観測を大切にしている理由でもあります。
剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。