世界王者を多数指導してきたボクシングの男性トレーナーが、「最近入ってきた女子選手を、どう指導して良いのかわからないんです」とベテラン女子選手に尋ねた。世界トップ選手を指導してきたトレーナーでも抱える性差問題。近年、ジェンダーやセクハラ、モラハラ問題が噴出するスポーツ界において、男性指導者は女子選手と関わりづらい一面があるのかもしれない。しかし男性は男性、女性は女性が指導するという性差での区別も、望ましいものとは思えない。名実を兼ねる指導者を列挙すればわかるが、指導者の優劣に性差は関係がないからだ。
総合格闘技で女子トップ選手を多く排出している、総合格闘技スクールAACC。代表トレーナーは拓殖大学レスリング部所属から、総合格闘技選手としてのキャリアがある阿部裕幸氏である。取材時点で女子選手はプロ15名とアマチュア5名、男子はプロ8名とアマチュア10名が所属。これだけ女子選手が所属するチームは、同業では類を見ない。今回、多くの女子選手をトップアスリートへと導く阿部裕幸氏に、性差による指導方法の違いなどについてお話を伺った。
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選手のタイプに合わせて褒める指導法
AACCの創設は2001年で、3歳〜中学生のキッズからプロまで幅広い年齢層・経歴が所属している。現在までに、総合格闘技の女子チャンピオンを7名輩出してきた。現RIZIN女子スーパーアトム級チャンピオン・浜崎朱加やシュートボクシングRENAなど、世界トップクラスの指導実績は多岐にわたる。レスリングをベースにしたキッズクラスからも、卒業生の吉元玲美那(至学館大学)が2021年レスリング世界選手権の覇者になった。初のレスリング世界チャンピオンが誕生したことに喜びを隠せない阿部氏に、女子選手の特徴を聞いてみた。
「練習でも試合でも、女子選手は真面目でコツコツ頑張る選手が多いように思います。男子の試合を見ていると諦めた瞬間がわかるときがあるのですが、女子の方が気持ちの面で強い気がします。気持ちにムラが出ることもありますが、褒めたり、ときには厳しく激しめに伝えたり、強弱をつけるようにしています。指導中も、ときどき冗談を交えながら教えていますね。」
練習中には声を張って指示を出す場面もあるが、みんなの表情がゆるむ声かけの姿も見られた。褒めることの大切さは、ここ数十年で教育・指導においてよく耳にするようになった。しかし一方、試合の厳しい局面で勝負できる資質が育つのか疑問も生じる。これについて、阿部氏は次のように話してくれた。
「僕も褒められて育ってきていませんから、褒めるのは得意ではありません。でも、厳しいことを5つ言ったら、1つは褒めようと思っています。女子のプロ練習は、その強弱をよりつけた方がやる気を出してくれます。スパーリング(実践練習)で極めにいかないときなどはハッキリ指摘しますし、その繰り返しです。選手にも確かにタイプがあり、具体的には結果までの道筋を描けるタイプと、現時点の状態を確認していくタイプ。前者はチャンピオンになるまでの道筋を描いていけるので、結果までの順番やチャンピオンになるまでの今年の目標などを共有します。後者は現時点での状態を見て褒めたり、直接『頑張るぞ』と伝えたりすることで上がっていくタイプですね。」
指導していく中では、伸び悩む選手に出会うことも少なくない。プロとしての実力が厳しい子も確かにいるだろう。そうした場合にどう指導するのかは、多くの指導者が頭を悩ませるところではないだろうか。
「僕は、チームとしての底上げをしていきたい。だから、みんなで一緒に『やろうぜ』という部活のような雰囲気です。トレーナーと選手がマンツーマンで行う指導もあると思いますが、僕は少し違います。そのため、過去に選手から『面倒見が良くない』と言われたこともありました。その相手は、二人三脚のような指導を期待していたのかもしれませんね。大前提で“楽しくやる”というのをメインにした方が、みんなも入りやすいんじゃないでしょうか。プロになれば厳しく細かい部分はもちろんありますが、みんなで作りあげることが好きなので、僕は旗ふり役ですね。」
褒める指導など無縁だったという阿部氏の選手時代にも、1つ色濃く残る記憶があった。
「ある日、レスリングの練習で僕がタックルを見せたとき、厳しい先生が『そのタックルすごいね』と褒めてくれたんです。あれは嬉しかったですね。それ以外、ほとんど褒められたことはありません。たくさん褒める必要はなくて、厳しくしているからこそ、ふとした一言が活きることもあるんです。」
こうしたレスリング時代の経験が、現在の指導に太く繋がっているようだ。
関係づくりは声かけから
女性の指導で難しいとされる点に、身体リズムの変化が挙げられる。基本的には普通に話し、気軽に話せるような関係づくりも心掛けている阿部氏は、調子が悪そうで声をかけると選手も体調を話してくれるという。症状も選手によって違うので、体調を聞きながら練習内容を決めたり、試合や減量に向けて話したりすることも。取材中もマット上にふと目にした小さな埃を拾うなど、女子選手への気づかいも忘れない。
「女性は気が利いた方がいいですよね。『髪切ったね』とか、僕はそういうことに気づくタイプなので。うちのチームは女子選手が多いので言えるのですが、女子は女子で練習した方が良い。男子選手と比べると身体も柔らかいし、男子選手の方が力はあるので技も違ってきます。だから、うちは男女で練習を分けているねす。外部の女子選手が練習に来てくれることもウェルカム。これまで、総合格闘技の女子選手のほとんどが練習に来てくれたんじゃないでしょうか。」
オープンに話すことができ、女子に適した練習ができる環境作り。そうした配慮があるからこそ、外部からも多くの女子選手が集まってくるようだ。
常に準備して、常に戦える状態を作る
昔、教師になりたかったという阿部氏は、教えることが好きだった。コーチングや指導について本を読んだものの、読むだけではなかなか実践に繋がらない。選手時代には他の道場などで練習をする際、実際に自らの目で見て学んだという。その経験が、現在の指導にも活かされている。
「海外にも行きましたが、良いところは全部持って帰ろうと思っていました。指導方法の買い付けみたいなものですね。面白いと思ったことは、すぐにキッズやプロにも取り入れました。僕の指導方法は盗んでばっかりですよ。でも、練習に新しいことをどんどん取り入れた方が、子どもも大人も面白がって取り組んでくれます。」
さらに阿部氏は、自身の考えるスクールのあり方について次のように教えてくれた。
「外国へ行ったときに格闘技を通じて知り合ったのは、全員が優しい人たちでした。言葉が通じなくてもセミナーをしたことがありますが、それは格闘技が共通言語だから。格闘技のすごい試合を見れば、心を揺さぶられたり鳥肌が立ったりします。そこに言葉は必要なく、格闘技にはそういう力があるんです。スポーツ全般がそうだと思うのですが、日本人は武道の国だとリスペクトしてくれます。もちろん勝敗もありますが、それは結果です。負けたときは準備が100%できていたのかというと、できていないときもあるでしょう。常に準備し、常に戦えるように。AACCのコンセプトに『ココロとカラダを強くする』というものがありますが、スクールはそういうことを学ぶ場だと考えています。」
阿部氏には、格闘技に“育ててもらった”という思いがある。だから、格闘技に恩返しがしたい。格闘技が好きな人たちに囲まれて、格闘技を広めていきたいという想いは、性差や年齢、キャリアをこえて選手たちへ脈々と流れているのだろう。
AACCを卒業したOG・O Bもときどき練習に参加し、年下を指導したり練習に加わったりすることがある。阿部氏は練習中にキッズからプロまで一人ひとりの名前を呼び、チャレンジを後押しして選手の自主性を育てる。性差の枠にはとらわれない「楽しく」というモットーが、その指導方法から存分に見て取れた。
阿部 裕幸(あべ ひろゆき)
愛知県一宮市出身。拓殖大学レスリング部出身。総合格闘技スクール「AACC」主宰、兼ヘッドコーチ。総合格闘技・修斗やDEEP、PRIDEのほか打撃格闘技のK-1、シュートボクシングに出場した実績がある。
たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。