菊野克紀氏が「こどもヒーロー空手教室」を始めたのは2年前。最初の参加者は自分の子ども2人と、近所の子ども2人の計4人だった。それが、今では会員数80人を越えるほどに。教室のカリキュラムはすべて菊野氏が手掛けており、さまざまな武道や武術、格闘技を学んだ知恵と経験を集約させている。
菊野氏は2005年に総合格闘技選手としてデビュー。2014年にはアメリカの総合格闘技U F Cに参戦した実績を持つなど、第一線で闘い続けてきた。そして競技者としてのけじめがついたとき、向き合ったのは「未来のために自分ができること」。そこからたどり着いたのは、未来の象徴である子どもたちに“強さ”を伝えていくこと。指導者として子どもたちに向き合う、菊野氏の考えや思いについてお話を伺った。
目次
ヒーローの定義は「強くて、優しくて、カッコいい」
道場に空手衣を着た3人の指導者と、子どもたちの姿が一堂に会する。菊野氏主催の「こどもヒーロー空手教室」は3歳〜小学生までが対象。正面中央に菊野氏が正座して、子どもたちと向き合う。そして、黙想と礼で稽古は始まった。菊野氏の「こどもヒーロー訓」の言葉に、前列の子どもが大きく声を張って読み上げる。一人が読み上げ、次々に子どもたちが声を出した。
一つ、大きな声を出します!
二つ、メリハリをつけます!
三つ、話している人を見ます!
四つ、礼儀を大切にします!
五つ、人に優しくします!
子どもに伝えたいことを考え、菊野氏が作った“こどもヒーロー訓”。指導のときもこどもヒーロー訓を用いるが、これについて次のように教えてくれた。
「自分の半生を振り返り、子どもたちがたくましく幸せに生きるために役に立つと信じて作りました。こどもヒーロー空手教室は、空手の稽古を通してこどもヒーロー訓を身に着ける場です。こどもヒーロー訓は教室の憲法みたいなもので、これを元に指導します。指導された生徒も納得できますし、指導者もブレずに指導できます。何度も何度も繰り返すことによって、生徒たちの中に息づくはずです。もちろん指導者の中にも」
全員が羽織る空手衣の襟には『HERO』の刺繍文字が刻まれていた。
「ヒーローの定義は強くて、優しくて、カッコいい。生徒たちと一緒に強くて優しくてかっこいいヒーローを目指す!という思いを込めています」
小さい頃は心が弱く、ひたすらヒーローに憧れていたという菊野氏。その思いが、この言葉へと繋がっているようだ。
強さと競技で勝つことはイコールではない
体は丈夫だったが、余裕がなく人に優しくできなかったという菊野氏。そのため、孤立した時期もあったという。当時からマンガ好きで、マンガに出てくるヒーローたちの強くて優しくてカッコいい、みんなに愛されている姿に憧れた。中学校で柔道を始めると少しずつ強くなり、自信がついて人に優しくできるようになったとのこと。そこから友だちが増えて、学校も人生も楽しくなってきたそうだ。
「僕の中で、『強くなる=人生が楽しくなる』ことになりました。それからは強くなることに人生を懸けて取り組んできましたし、今は誰かを強くすることで、その人の人生が楽しくなってもらえたらと思っています」
ヒーローに憧れて格闘家を目指した菊野氏だが、競技者としての挫折も味わった。
「総合格闘技の世界のトップに立てず、その後も色んな挑戦をしましたが、そのたび思い描く自分と現実とのギャップに苦しみました。この先、どうやって夢であるヒーローを目指せばいいのか。マイケル・ジャクソンのように世界に影響を与える強さ、博愛の象徴のようなマザー・テレサの優しさ、それらは僕には持ちえない。自分が目指すべきヒーローとは何なのかと悩み、“未来”と “子ども”というキーワードが出てきて、今は空手の先生をやっています」
頂点を取れなかった苦々しい思いは、あるキッカケから肯定的に捉えるようになった。それは“諦め”の語源が、「つまびらかにする・明らかにする」からきていることを知ったときだというそう。
「救われましたね。ずっと、諦めることは弱いというイメージで捉えていたので。限られた時間とエネルギーを、自分のやるべきことを明らかにして注いでいく。それが今、明らかになってきたのかなと思えました」
格闘技は劣等感を埋めるために取り組んできたと言う。しかし2018年、自らが興行主となって地元鹿児島で開催した格闘技イベント『敬天愛人』で一つの区切りがついた。
「ビビりという劣等感です。少年時代、臆病でかっこ悪かった記憶がたくさんあります。そんな自分が嫌いで、自分を好きになりたくて格闘技をやってきました。『敬天愛人』のトーナメント準決勝でヤン・ソウクップと対戦しましたが、彼は180cm・100kg超で極真空手世界大会では無差別級準優勝。あの世界的なキックボクサー、ピーター・アーツにもキックボクシングで勝っています。しかし逃げることなく、彼に立ち向かっていけた。この試合で、いざとなったら誰が相手でも向かっていけると、ビビりな自分とのけじめがつきました。それ以降、プロ格闘技の試合はしていません」
ヤン・ソウクップとの対戦結果は、見事に判定勝ち。しかし、勝敗だけではなく人として、あるいは人間としての強さを求め続けてきた菊野氏にとって、大きな節目となる一戦になった。
勝敗ではなく成長という価値
菊野氏は強さへの探究心から武術も学んでいが、小学生までを対象とする教室において、いわゆる“試合”は行わないという。その理由について、次のように話してくれた。
「競技とはルールであり、ルールとは思想です。競技者は、そのルールで勝つために必要なこと以外はやりませんし、やっていたら勝てません。他のスポーツであれば、それで構わないのでしょう。しかし武をベースとし、道を求める武道において、競技というのは本質を失う可能性があります。僕は勝負の世界に身を置いたからこそ、伝えたい本質は競技に求めませんでした。競技を追求すると競技の成績こそが価値となり、それ以外のことの価値がなくなります。柔道選手も剣道選手も、パンチやキックから身を守る練習をしようなんて思いもしないし、投げのない競技では受け身も練習しません。また、他者と比べて勝つことが価値となり、自分と向き合い成長することの価値が分かりづらくなります。こどもヒーロー空手教室では、稽古の成果を審査して成長を促す昇級審査は行っていますが、競技は行いません。競技は競技で素晴らしいのですが、小学生までの武道教育としては必要ないと考えています」
そんな菊野氏も、指導方法についての正解は未だ分からず、日々悩んでいるとも言う。
「子どもは純粋で、素直に受け取ってくれます。だからこそ、指導者がしっかりしなくてはいけないので、成長させていただいています。正解は一人一人違うし、その正解も日々変わるもの。だからこそ、指導の型となる“こどもヒーロー訓”が重要だし、技術の型となる先人の知恵の結晶である、空手の型が重要なります」
稽古の最後には『実語教』を朗読する。実語教とは、1000年に渡って読み継がれている児童向けの教訓書。そこには、礼儀や生き方について29の教えが記されている。江戸時代には寺小屋の教科書として用いられ、菊野氏は武道を通じた人間教育の書としているそうだ。
武道を通じた人間教育
最後に菊野氏は、こう語ってくれた。
「これからも、指導方法についてはずっと悩むのでしょう。しかし、たくさんの子どもたちの未来に関わっていきたいと思っています。それには、まず目の前の子どもたちに向き合うことです」
限られた時間の中で、一人一人違った個性を持つ子どもたちに何が伝えられるのか。アドラー心理学をベースにしたコーチングを学ぶなど、子どもたちに向き合うことに菊野氏は日々情熱を注ぎ続けている。
菊野克紀(きくの かつのり)
1981年10月30日、鹿児島生まれ、170cm・80kg。
高校柔道鹿児島県大会・66kg級優勝、九州大会66kg級3位。極真空手(松井派)全九州大会・無差別級 優勝、全関西大会・無差別級 優勝。
総合格闘技『UFC』『DEEP』『DREAM』や『巌流島』などで活躍。第5代DEEPライト級チャンピオン、巌流島 全アジア武術選手権 優勝、『敬天愛人』異種格闘技体重無差別ワンデートーナメント優勝、『第11回 全日本テコンドー選手権大会 東日本地区大会』優勝など輝かしい成績を残す。2020年、沖縄拳法空手沖拳会から独立して「誰ツヨDOJOy」を主宰。プロ格闘技の経験と武術の知恵を凝縮して、誰でも何歳からでも強くなれる場を作っている。「こどもヒーロー空手教室」も主宰し、子どもたちとともに強くて優しいヒーローを目指して稽古している。
たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。