スパイス料理に日本酒をペアリングするという、ちょっと珍しいお店が横浜関内にある。それが、元ボクサーの経歴を持つ藪晋伍さんが店主を務める『Spice Drunker やぶや』だ。

「スパイス料理と日本酒をペアリングするのは、日本でうちくらいかもしれません。日本でうちだけということは、世界でもうちだけかもですね」

という藪さん。ここでしか味わえない独創的な料理は、多くのお客さんを魅了している。カレー研究家たちが投票して行う『JAPANESE CURRY AWARD2021』でもメイン受賞をするほど、その実力は折り紙つき。先付けからメイン、最後は南インド料理のミールスで締めるという大満足のフルコースで、日本酒はすべて日本酒ソムリエの藪さんが合わせる。

藪さんはボクシングを引退し、すぐに料理の世界に入った。一見、ボクシングとは繋がりがないように思えるかもしれない。しかし本人は、「ボクシングをやっていなかったら今の自分はない」とハッキリ一言。引退後、意外な繋がりから歩み始めた料理人としての道について、詳しくお話を伺った。

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スパイス料理は分からな過ぎて面白い

カウンター8席の店内には、藪さんが全国から選りすぐった日本酒が壁一面に並ぶ。仕込みから調理、お客様へのおもてなしまで1人で切り盛りし、日本酒は料理に合わせて最適な温度に燗につけて出す。お店は完全予約制。スパイス料理と燗酒のペアリングのコースのみで、料理はその日によって変わるという。この日は前菜にホタルイカのアチャール、フグのスパイシー唐揚げ「フグ65」などが並び、一気に鮮烈なスパイス料理の世界へと誘われた。

「日本酒はお米でできているので、これを炊きたてのご飯だと思って食べてみてください。カレーにご飯を合わせるのだから、合わないわけがない。」

その言葉に半信半疑ながら料理とお酒を口に運ぶと、意外にも思える燗酒とのペアリングは抜群の相性だった。造詣の深いお酒と、料理の話に引き込まれていく。無骨さと穀物を感じる燗酒はロティ(全粒粉パン)、古代米を使用してロゼがかった果実味ある燗酒はベリー系のソースだと思ってと、ペアリングを存分に楽しませてくれる。

藪さんがスパイス料理と出会ったのは、ボクシング選手時代に始めた薬膳料理屋でアルバイトだった。減量が厳しいボクシングで少しでも体に良いものをと思い、そこで一緒に働いていたスリランカ人の作るスパイス料理に衝撃を受けたという。

「インド料理やカレーが、特に好きだったというわけではありませんでした。日本は生まれながらにスパイスがある環境ではないので、スパイスの扱いが分からな過ぎて、それが単純に面白かったんです」

分からないから面白い。この言葉はスパイスだけでなく、ボクシングにも通じることだろう。

現役時代、減量にも活かしたスパイスと薬膳

藪さんは近畿大学を卒業後、映像制作会社でADとして働いた。地元大阪から東京に転勤になり、仕事と毎晩飲み明かす不規則な生活。そこで、ストレス解消にと始めたのがボクシングだ。大学では日本拳法部のキャプテンを務めるほどの腕前だったが、打撃、投げ技、寝技の日本拳法とは打って変わって、ボクシングは腕2本で勝負する競技。「できない部分が多かったから面白かった」と、ボクシングにのめり込んだという。

1年後にはプロライセンスを取得。最初はプロでやっていく気持ちはなかったものの、当時は25歳とボクサーとして勝負するには若くない年齢。「勝負をするなら今しかない」と、デビュー戦を2011年10月に迎えることになった。

不規則な仕事柄、練習は早朝。住まいの千葉県からジムがある五反田で早朝練習を終え、テレビ局の仕事場へ向かうというハードワークだった。それでも朝6時からスパーリングなどの練習に付き合ってくれた仲間や先輩、トレーナーには恵まれていたと感謝を口にする。

減量は通常時70kg弱から、ライト級の契約体重60.3kgまで落とさなければいけなかった。正しい減量方法も分からず、鶏胸肉とおかゆだけの生活。不安から、試合1カ月前にリミットまで落としたこともあるという。結果は2-0の辛勝。試合を振り返って、藪さんは次のように話す。

「しょっぱい試合でした。ノーダメージ。打ち合えよって感じで、見ている人はおもしろくなかったと思います」

デビューから半年後にはADを辞めてボクシングに専念。そして、薬膳料理店でのアルバイトを始めることにした。スパイスや薬膳を活かして、さまざまな減量方法も試したという。近年、欧州を中心に動物性タンパク質を摂取しない菜食のビーガンアスリートも増えているように、藪さんもビーガンに近い食事で減量していた。

「インド米は糖質が少ないのでヘルシーです。タンパク質はダルのように豆から摂取できますし、そこに野菜を炒めたもの、トマトベースの濃厚なシャバシャバのスープ系を混ぜて食べたりしていました」

スパイスを使うと、食事も栄養バランスを整えやすく仕上がるという。しかし、ボクシングの戦績は思い通りにはいかなかった。2戦目にTKO負けを喫し、2013年には東日本スーパーライト級新人王を獲得したものの、翌月の全日本ではTKOで敗退。ここから負けと引き分けが続く、長く苦しいトンネルに入ったのだ。

ボクシング引退、そして新たなステージへ

結果的に引退までの5試合は勝ち星に恵まれず、最後となった試合後にトレーナーから受けたのが「ちょっと考えろ。やるか、辞めるか」の言葉。藪さんは当時のことを振り返り、次のように話してくれた。

「今思えば、覚悟が足りなかった。プロテストで、相手からストレートでダウンを取ったんですね。後にも先にも、あれだけキレイにパンチが入ったことはなかった。トレーナーからそんなことを言われたのは、初めてでしたね。周りも、この試合に懸けていたってことを察していたんでしょう。最後はめちゃめちゃ打ち合いましたよ。顔面もボコボコ。やっとボクサーらしい試合をしました。やったことに後悔はないけれど、結果にはめちゃくちゃ後悔があります。今でも、あのままやっていたらどうなったのか考えますし。ボクシングでチャンピオンになれなかったんだから、飲食でチャンピオンになりたいんです」

現役中に転職して南インド料理屋で働いていたことから、「いつか自分の店を持ちたい」と憧れも抱いていた。2015年に引退後は、すぐに次のステージに移行する。ミシュランガイドでも紹介された和食海鮮居酒屋でバイトしながら、休日にはパキスタン料理屋に通ってスパイス料理を学んだ。そして、今の料理スタイルの礎ともなる、間借りのお店を浅草で開始。お店の評判は上々だったが、藪さんは一つの壁に当たる。「頼まれたお酒をただ出してるだけ。これでいいのかな」と疑問を持つようになったのだ。

飲食店に助けられたから、今度は自分が還元する

当時は、ペアリングが流行し始めたタイミングだった。色んな有名店を周ったが、ピンと来るものには出会えなかったという。そんな中、名店と名高い燗酒Bar『Gats』(現在は閉店)で燗酒ペアリングを口にした瞬間に「これだ!」と衝撃を受ける。偶然に、店主の水原将さんも元ボクサー。意気投合し、スパイス料理と燗酒のペアリングの原型が作られた。

また、ボクシングの繋がりはこれだけではない。藪さんはフジテレビのCS放送・スパイス探求番組『スパイストラベラー』に出演しているが、そのプロデューサーは選手時代から応援してくれた人だった。さらに選手時代、計量後に必ず行くブラジルフランス料理で有名なお店があった。マスターは各国の大使館で料理してきた腕利きのシェフ。藪さんがボクサーだと知ると、「いつでもおいで。タダで食べさせてあげるから」と温かい声をかけてくれたのだとか。

「マスターは売れない芸人やゴルファーとか、色んな人を応援していました。3~4年前に末期がんで亡くなってしまいましたが、僕も苦労している人を応援できるお店になりたい。僕が助けてもらった分、ボクシングのおかげで育ててもらったので還元していきたいです」。

開店2年目。ゆくゆくは大きなビジネスをしたいと野心を抱えながら、藪さんは目の前のお客様一人一人に向き合っている。

ボクシングとは違うステージで楽しませ続ける

藪さんはボクシングをして変わったことの一つに、“お辞儀の深さ”を挙げた。

「ボクシングに出会うまでは、自分中心の考え方だったと思います。ボクシングをして、チケットを買って応援していただいて生かされているというか。それで負けてがっかりさせてしまう。今まで感謝と言っても、本当に感謝をしていなかったなと思うほどです」。

ボクシングでは結果を出せなかったと言う藪さん。今は、世界でここにしかない場所にすべてを懸けながら、人を喜ばせ、楽しませ、驚かせ、魅了し続けている。探究しつづける唯一無二の料理人として、黙々と日本酒の温度を測りながらオペレーションをする姿が印象的だった。

By たかはし 藍 (たかはし あい)

たかはし 藍(たかはし あい) 元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。