2011年3月、女子サッカー日本代表が世界一に輝いた。その瞬間は、恐らくメディアなどで目にした人が多いだろう。日本中が盛り上がり、なでしこジャパンの名前が知れ渡った日から11年。東京オリンピックでも目立った結果は残せなかった。恐らく、日本の女子サッカーが強かったのを過去のことだという人も少なくないだろう。事実、最新のFIFAランキングで日本は13位と、トップ10入りしていない。

世間の記憶が薄れていく中、その流れに逆らうよう人知れずもがく選手がいる。それが、GK・平尾知佳選手(25歳)だ。平尾さんは日本代表のGK陣で、長身は173センチ。体格で勝る海外勢との試合では、貴重な存在である。2022年7月には『EAFF E-1サッカー選手権2022』決勝大会に招集され、 チャイニーズ・タイペイとの試合では先発出場して勝利。2023年にオーストラリア・ニュージーランドで開催される『FIFA女子ワールドカップ(W杯)』に向けてアピールを行った。

しかし、平尾さんはこれまで、順風満帆な道を歩んできたわけではない。日本代表に選出されているものの、国際大会への出場機会は3試合にとどまっている。2020年には膝の靭帯を断裂し、選手生命が脅かされる経験をした。

プロフェッショナルの定義は人それぞれだが、共通点があるとしたら、一度定めた目標へ試行錯誤を繰り返しながらも立ち向かっていく姿勢ではないだろうか。自身の状態や立場に関わらず、平尾さんが目指しているのは世界一になること。2023年のW杯に向けて「もっとも重要な時は今」と語気を強める平尾さんの日常には、目標を追いかけるプロフェッショナルな姿があった。

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4時45分から始まる一日

チームの練習は朝9時から始まる。一方、平尾さんの朝は早く、笑顔で次のように話してくれた。

「今は4時45分に起きています。練習前に、2時間は身体を動かす時間を確保したいので。そのために、毎日20時半を過ぎた頃には寝ますね。赤ちゃんみたいな生活でしょ?練習が始まった瞬間から、100%を出したいという気持ちがあります。単純に、最初のウオーミングアップから全開で動ける状態にしておかないと気が済まないんです。こだわりというよりも、やらないときがないので当たり前という感覚ですね。」

所属するチームの本拠地・新潟県は豪雪地帯だ。冬の期間は練習場所が変わることも多く、一番早いときで2時50分に起きていたこともあるという。しかし、彼女の習慣はこれだけではない。練習前の2時間が“準備”であれば、2時間のチーム練習を終えると、次は自身の課題克服に向けた“強化”に取り組む。

「練習後はグラウンドでの自主練習だけでなく、ジムで週に3回ほどバイクトレーニングを行っています。他にも、筋力トレーニングで自分のフィジカル強化も行っているんです。」

2年前から続くこの習慣を知る者は、チームメイトでも少ない。彼女が唯一頼るのは、チーム所属の古川トレーナーだ。トレーナーには、これまで「こんなのどう?」とたくさん聞いてきたのだとか。考えながら、やりながら試行錯誤した結果、ある程度今の流れができてきたと話す平尾さん。これに対して古川トレーナーは、その姿勢を次のように評価する。

「入団当初と2年前にプロになった後で、彼女のスタンスや取り組む態度はまったく変わりません。元々、プロのような思考でサッカーをしていたんです。それがすごい。」

11年前に救われた女子サッカーへ恩返しを

平尾さんが世界を意識したきっかけは、2011年の東日本大震災で被災した中学2年生のとき。自分は女子サッカーに救われた身だと、彼女は言う。

「W杯で日本が優勝したとき、自分はサッカーができないという状況にいました。そんなタイミングで、なでしこジャパンの試合をテレビで見たんです。当時のなでしこジャパンの選手たちは今より環境が良くなかったし、選手の家族の中には被災している人たちもいました。自分たちより一回りも大きい海外の選手と渡り合って戦う姿に、自分も、もっと頑張らなきゃいけないと思ったんです。弱音なんか吐いちゃいけないなと、奮い立たせてくれたね。元々、サッカーは見るよりもやるほうが好きだったけれど、そんな自分でも世界一になったあの試合は泣きました。」

日本中が重たい空気に包まれている中、なでしこジャパンのニュースは一筋の光明だった。この瞬間から、サッカーの視座が変わったのだ。

「スポーツは人を感動させられるし、頑張ろうと思わせてくれる凄いものだと強く感じました。いつか、自分もそういう立場になりたい。いや、ならなきゃいけないっていうのは、そのときからずっと心にあります。そういうことを表現するのは苦手なんですが、関わってくれる人や支えてくれる人には、絶対に恩返ししようと決めています。」

現在、プロ選手としてピッチに立つ平尾さん。試合中に声をあげる平尾さんの表情は、あの日に志した覚悟が透けてみえるようだ。

今の行動が実るかは、誰にもわからない

平尾さんの部屋の壁にかけられたホワイトボードには、東京五輪で敗退した後に書いた『オリンピックでチームを勝たせるには』という自身への問いが大きく掲げられていた。さらにその下には、そのための課題や意識していくことが箇条書きに並んでいる。

「東京五輪で負けた後、出場するという目標だけではだめだと思いました。自分の中で納得できなかったんです。出場ではなく優勝。自分が勝たせたい。」

平尾さんは、そう淡々と想いを吐露した。そして、古川トレーナーも次のように話す。

「平尾さんは目標が常に上にあって、目の前のきついことから決して目を背けない。その意識の高さから、自然に行動が変わるのかなと思います。」

日本はどうしたらもう一度、世界一になれるのか。東京五輪に招集されたなでしこジャパンのうち、2011年のワールドカップ優勝メンバーは熊谷紗希選手と岩渕真奈選手の2人だけ。世界一の光景を知らない選手が増えた今、この問いに平尾さんは言葉を探しながら次のように答えた。

「世界一になりたい。でも、何をやったら世界一になれるか、どうやってなったらいいか、正確な答えは正直わからないです。でも、自分が考えられることをやり続けるしかない。今の行動が実るかは誰にもわからないけれど、やめたらそこで終わりです。続けないと何もわからないから、目の前のことを一つ一つ努力します。」

たくさんの人に夢や希望を与えるために、まずは自分がサッカーを楽しむことを大切にしているという平尾さん。その上で、「好きなことを好きでい続けるには、誰よりも強くなきゃいけない。誰よりも努力しなきゃいけない。」と語った。世界一という目標に向かって、今日も平尾さんは4時45分に起きると一人グラウンドへ向かっている。

忘れ去られようとしている、女子サッカーの栄光。しかしあの日、なでしこジャパンが世界一に輝いた記録は、今でも日本のサッカー界の歴史に刻まれている。あれから11年の月日が経ち、現在は次世代の選手たちが日本代表に並ぶ。初めて世界一になり、日本中が歓喜に沸いた記憶が彼女たちにはあるだろう。そのうちの一人が平尾さんだ。サッカーから受け取った感動を、今度は与える側に。再び世界の称号を手にする好機は2023年。すぐそこに迫っている。

※写真提供:アルビレックス新潟レディース

平尾 知佳

1996年12月31日生まれ。千葉県松戸市出身の女子プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 現在はアルビレックス新潟レディースに所属している。U17、U20の日本代表に選出され、年代別のワールドカップに出場。2018年から日本女子代表として呼ばれ、現在は国際Aマッチに2試合に出場している。

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By 伊藤 千梅 (いとう ちうめ)

元女子サッカー選手・なでしこリーガー。現役中はnoteでの活動を中心に発信。引退後はFCふじざくら山梨のマッチレポートの執筆を行う。現在はフリーライターとして活動中。

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