まさに「やってみければわからない」という言葉に相応しい試合が、2022年6月29日に後楽園ホールのボクシング興行第4試合目で見られた。赤コーナーは、世界に名を馳せる井上尚弥選手も所属する大手・大橋ジムの若手ホープ。対するは試合翌日に誕生日を控え、定年37歳を迎える加藤寿選手だった。
ボクシングは37歳定年制を設けている。例外として世界、OPBF(東洋太平洋)、日本王者はタイトルを失うまで、また元王者、世界挑戦経験者、世界、日本ランカーも健康診断で異常がない場合は現役続行が許されている。加藤選手が現役続行する残された道は、日本ランカーである相手を下しランキング入りすること。これまでに5度挑戦し、未だ果たしていない。
勝ち予想は対戦相手が74%と圧倒的。加藤選手の戦績は22戦のうち10勝と負け越していることから、妥当であっただろう。しかし、結果は衝撃的だった。2ラウンドに加藤選手が2度のダウンを奪って、TKO勝利をおさめたのだ。会場は総立ち。この日、最高潮の盛り上がりを見せたのだった。
観客もファンも、皆が「これだからボクシングは最高」と口にした。勝利を信じるものが少ない中、こんなドラマチックな展開を前に、加藤選手はどんな思いでリングに上がったのだろう。ご本人に、その胸の内を尋ねた。
目次
勝っても負けてもKO決着、一発で負けることも
加藤選手は勝ち星を一つ増やした23試合のうち、16試合はKO(ノックアウト)で勝敗がついている。このような運びをする選手の試合は盛り上がる。デビュー当初から倒れることが多く、打たれ弱さは自覚していた。考えられる要因の一つに、日常に支障はないが先天性の透明中隔腔があり、ライセンス取得の際に医師に相談したことがあった。問題なくプロライセンス取得となったが、打たれ弱さの原因ではないかと分析している。
ポイントで優勢な時でも、一発で負けてしまうこともある。しかし、大方が諦めそうな場面で、粘り強さを見せつけるのも加藤選手の魅力だ。2019年に行われた試合では、豪腕の選手から3回ダウンを奪われた末に大逆転で勝利した。
「試合で心が折れたことはないですね。漫画の台詞でもありましたが、諦めたらそこで終わりじゃないですか。子供たちや後輩も指導しているので、そういう姿を見せたくはないですね。だからこそ、レフェリーに止められるまで立ち上がろうと思っています」
加藤選手は、そう丁寧な口調で話す。
今回の試合はチャンスと捉えた。当初1月に決まっていたのだが、年始の練習で加藤選手がアキレス腱を断裂。試合は中止になり、回復は半年が見込まれた。「6月30日の誕生日までに間に合わない」。ケガの前日には長年応援してくれていたラーメン屋店主の急死の知らせもあり、すでに傷心状態だった。
「あのときは、かなりキツかったですね。大切な人が亡くなり、完治に半年。もう無理じゃね?って思いましたね」
懸命なリハビリと周囲のサポートのおかげで、回復は早まった。そして、同選手との試合のオファーが舞い込んだ。
「何の旨味もない僕と試合を組んでくれた興行に関わった方々、対戦してくれた選手にも感謝しています」
各所からの助けがあったからこそ、実現した対戦カードだった。付け加えると、ケガがなければ定年期限の誕生日前日という日付で、このドラマが生まれることはなかっただろう。
担架で運ばれてから、母親は試合を直視できなくなった
加藤選手は自身の性格について、周りがうんざりするほどネガティブだと話す。
「試合が決まると、負けたところからイメージします。本当に自信がないんですよ。一生懸命練習してきても、打たれ弱いから一発でひっくり返ることが何度もあったので。リング上で一番信用していないのは自分自身です」
それでも20歳のデビューから振り返ると、ピンチの場面でも冷静に開き直ることや、切り替えることができるようになってきたと言い、「倒れ慣れているので」と微笑んだ。
ボクシングを始めたのは、小さい頃に観た辰吉丈一郎選手への憧れだった。父親がボクシング好きで、よく一緒にテレビで試合を見ていたという。中学生の頃に両親は離婚。転校前はバスケットボール部に入っていたが、新しい学校では特に運動もしていなかった。
ボクシング選手になりたくて、卒業後は就職の道を選択。現在も勤める、電子機器や通信機器などの筐体や部品を製造する精密板金の会社へ就職が決まった。一緒に暮らす母親から、ボクシングへの反対はなかったようだ。「高校は卒業したら?」と助言はくれたものの、息子の決断に大きく意見はしなかった。
ボクシングでプロデビューすると、母親は喜んで応援してくれた。しかし、6戦目の試合で倒れてタンカーで運ばれた姿を目の当たりにしてから、母親は会場に来ても試合を直視することはなくなったという。6月の試合が最後だと思っていた母親に勝利報告した時も、「え、今回が最後じゃないの?」と驚き、現役続行を伝えると「あ、そう」と目を落としたそうだ。
負けにつながるから、殴られるのは怖い
「よく、殴られるのが怖くないのかと聞かれます。試合はいつだって怖いですが、殴られることは怖くありません。でも、殴られることで倒れたり負けたりすることにつながるので、そういう意味では怖いです。応援に来てくれた人を、ガッカリさせてしまうのがキツい。自分が負けて悔しいより、それが一番堪えます」
今回勝利した直後、所属する熊谷コサカボクシングジム小坂裕己会長も、リング外から喜んで抱きついた。
「会長から抱きつきに来てくれたのは初めてでした。ずっと長い間お世話になっていたので、やっと一つ、恩返しができたんじゃないかなと思っています」
ボクシングを通じて、人が喜んでくれることが何よりのやりがい。そんな加藤選手の人柄がわかるこんなエピソードがある。記憶にはないが、バッティングで頭がぶつかった相手に「ごめん。大丈夫?」と聞いたそうだ。その一言で相手の猛進が勢いを増し、ダウンを奪われて負けてしまった。これについて加藤選手は、「性格的に、ボクシングに向いていないんだろうなと思います」と冷静に話した。
ジムワークは週6日。朝8時15分から17時まで勤務し、18時30分から練習、帰宅するのは22時半をまわる。20代の頃と比べて、変えたことがあるのだそうだ。
「若い頃って、寝ればどうにかなったんですよね。でも、今は練習量を調節したり、鍼治療などメンテナンスや体に気を使ったりするようになりました」
同級生や同期が早々とランカー入りしてチャンピオンになり、不遇な時間も長かった。それでも粘り強く、デビューから17年を経て念願のランカー入りを果たしたのだ。
「僕は打たれ弱くて、力が強いわけでも、スピードが速いわけでもない。でも、頑張っていればこうなれるんだよって。そういうものを感じてくれたらいいかな。大人になって選択肢が限られる中で行き着いたのは、自分ができないことを認める力でした」
今回の試合前、控室で不安のあまり、「前回の試合(ダウン2回でKO負け)がトラウマなんだよね。怖いんだよね」と、つい弱音を吐いたという加藤選手。それを耳にした、後輩でトレーナーの彼はこう言った。
「加藤さんの得意な距離はこれですよね。じゃあ、この苦手な距離になったらどうするんでしたっけ? では、近い距離の時はどうするんでしたっけ?」。
すべて答え終わると「じゃあ、やりましょう。上がりましょう」と背中を押され、曇りかけた目的を彼がクリアにしてくれた。恐怖心があってリングに立つと、リングを狭く感じることがあるらしい。しかし、この日のリングは広く感じたのだという。
「この先、世界(ランキング入り)は99%無理と誰もが思うようなことでも、チャンスがある限り噛みつくべきだと思っています。そこで勝てばリターンもでかい」
競技一つとっても、誰もが頂点に上り詰められるわけではない。頂点に立つ者もいるが、去る者の方が圧倒的に多い世界だ。勢いのある若手にアンダードッグとして当てがわれた対戦カードだと思い込んだが、信じる者がいる限り、やはり勝敗はやってみるまでわからない。ボクシング界のレジェンドであるマニー・パッキャオ選手も、噛ませ犬としてマッチメイクされた試合から、一気にチャンピオンロードを突き進んだ。ボクシングの神様から、「勝負の世界をわかった気になっているんじゃないよ」と言われたような、そんな気がした。
すでに、日本チャンピオンへの挑戦状はすでに提出済だ。やってみるまでわからない。そんなボクシングの醍醐味を、また味わわせてほしい。
▼2022年6月29日のハイライト試合映像
たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。