同じ東アジアの国でありながら、モンゴルは日本人にとってやや馴染みの薄い国かもしれない。しかし、実はモンゴルのサッカー1部リーグ『モンゴリア・ナショナル・プレミアリーグ』(以下、モンゴルリーグ)では、数多くの日本人選手がプレーしている。さらに、2021-22シーズンには元Jリーガーの三島勇太選手が得点王を獲得し、チームを優勝へと導いた。今回、三島選手にモンゴルへ移籍した背景や現地で感じたこと、などお話を伺った。なお、三島選手は2022年8月2日にタイリーグAngthongFCへの加入を発表しているが、取材はこの発表前に実施したものである。

目次

三島選手の日本でのキャリア

三島選手は福岡県北九州市出身。中学生の頃からアビスパ福岡の下部組織で育ち、U-15(15歳以下)、U-18を経てプロ契約を結び、2013年にトップチームへ昇格した。この年に監督を務めていたのは、スロベニア出身のマリヤン・プシュニク氏。若手を積極的に起用する監督のもとで、開幕戦からベンチ入りを果たす。

第6節にプロデビューを飾ると、1年目からJ2リーグで27試合に出場して3得点を記録した。当時の主なポジションは右SB(サイドバック)。本来はサイドの守備を中心に攻撃にも関わるポジションだが、プシュニク監督率いるアビスパ福岡はイケイケのサッカーを展開する右SBを三島選手、左SBを同じく高卒ルーキーでドリブルが武器の金森健志選手(アビスパ福岡所属)が務めるなど、前への推進力が大きな強みとなっていた。

一方、攻撃への比重が大き過ぎたことから守備に大きな課題を抱え、カウンターから失点を重ねることもあった。しかし、プロ1年目から起用してもらえたことは大きな経験となっている。「マリヤンに使ってもらえたことで、自分のサッカー人生が大きく変わったと思います」と語る通り、翌年には30試合に出場。さらにU-20、U-21日本代表に選出されるなど、非常に順調なプロ生活のスタートを切っていた。

ところが、このシーズンをもってマリヤン・プシュニク氏がチームを離れると、出場機会が激減。2015年と2016年は9試合、2017年には0となり、この年限りでアビスパ福岡を契約満了に。2018年、当時JFLに所属していたテゲバジャーロ宮崎へと入団するとポジションを1列上げ、サイドの攻撃を中心に守備もこなす右SH(サイドハーフ)の主力としてプレーした。3年目にはクラブの悲願だったJ3リーグ昇格を達成。しかし、J3リーグでの出場は果たせないままだった。

J3の期間満了からモンゴルへ移籍

2021年、三島選手はJ3リーグのテゲバジャーロ宮崎に所属していた。チームはJ3リーグ1年目ながら好調をキープし、最後まで優勝争いに絡んでの3位。リーグ全体での大きなサプライズとなったが、そのピッチに三島選手の姿はなかった。リーグ戦の出場は0、そして契約満了に。これがサッカーキャリアで2度目の契約満了となり、引退も考えていた。そんなとき、モンゴルから話が届いたのだという。

「初の海外挑戦でしたし、すぐに行けるとなったので決めました。」

決してモンゴルの知識が豊富だったわけではなく、調べても記事がほとんどない。あったとしても、何年も前のもので情報が古かった。そこで、活用したのはSNS。現地でプレーしている日本人選手に「モンゴルに行くことになったんですけれど、どういう環境か教えてください」と連絡を取り、教えてもらい準備を進める。そして心機一転、モンゴルへ向かった。

三島選手がモンゴルに向かったのは2022年3月のこと。ハーン・フンス・エルチムFC(Khaan Khuns–Erchim FC)への加入が発表されたのだ。すでにシーズン開始後のため第1~2節は欠場したが、第3節に初出場すると、すぐに結果を残していった。持ち前のスピードと突破力を武器に、16試合で26もの得点を積み重ねたのである。

モンゴルはFIFAランキング184位と、決してサッカーで有名な国ではない。それでも、三島選手は合流が遅れ、さらにポジションは日本での主戦場だったSBやSHではなく最前線。この環境で活躍するのは簡単ではなかったはずだが、高い目標を掲げることで達成して見せた。

「現実的にモンゴルリーグのレベルが低いというのはあったので、1試合に1点は取るという目標を掲げていました。その点に関しては、目標を超える結果を出せてよかったなと思います。」

レベルの高低はあるにせよ、リーグで1人しか獲得できない“得点王”というインパクトは大きい。今後のキャリアに、ポジティブな影響を与えるのは間違いないだろう。今後については詳しく話せないとしながらも、「ある程度は決まっています」と教えてくれた。

初の海外で得た、大きな成果とは

海外への遠征経験はあったが、これが初の海外リーグ挑戦だ。モンゴルでの生活を通じて、得たものは多かったようだ。

「日本との感覚の違いや、当たり前のことが当たり前じゃないとわかったところが、行って良かったと思う部分ですね。また、得点という求められる結果を出すことの重要性はもちろん、楽しんでサッカーすることの大切さを、モンゴルに行って特に感じました。」

2021年まで4シーズンにわたってプレーしたテゲバジャーロ宮崎では、終盤の2シーズンで出場機会が減少していた。サッカー選手としては、試合に出られない状況で楽しんでサッカーするのは難しい。モンゴルで毎回のように試合に出て得点を重ねることで、その重要性を強く感じられたのだろう。

日本の2クラブでは、主にSBとSHでプレーした。しかし、その頃とは異なるFWのポジションで結果を出せたことは、選手生命を伸ばす可能性を秘める。ベンチ入りの人数が限られ、試合中の交代枠も限られるサッカーにおいて、複数のポジションでプレーできるユーティリティプレーヤーは重宝されるからだ。これについては、自身でも強みと認識している。

「今のポジション(FW)で結果が出てしまっていますし、今年のモンゴルリーグでのプレーも楽しかったんです。ですから、今後も1番前でプレーすることを視野に入れつつ、どこでもプレーできる選手になっていきたいですね。」

また、プレッシャーを感じる状況を経験し、それを乗り越えたことで精神的にも強くなったようだ。

「得点を重ねていく中で、周りの目も変わっていきました。チームメイトからの信頼を感じ、最後のほうはチームとして自分にボール預けろという感じになっていたんです。これは嬉しかった反面、優勝争いが熾烈だったのでプレッシャーを感じていましたね。あとは、食事や環境も結構きつかったです。お肉はほぼラム(子羊)で、僕には匂いがきつくて最後まで慣れませんでした。また、5月のはじめまで雪が降っていたので、その頃までダウンが必要。一方、7月には28度くらいまで上がって、日差しも強かったので暑かったですね。」

サッカー以外の部分でも、日本とは大きく異なる文化で生活したことでタフに。これからの海外でのキャリアに、ポジティブな影響があることだろう。

日本を離れ、より強く感じた感謝

プロ1年目、ともにプレーしていた金森選手とは現在も連絡を取り合い、お互いに試合もチェックしている。プレーするリーグは違うが、プロサッカー選手を続けていることで、お互いに大きな刺激となっているのだろう。また、周囲の人、そしてアビスパ福岡やテゲバジャーロ宮崎の在籍時代から応援してくれている、ファンに対する感謝の気持ちも強くなったという。

「周りの人への感謝の気持ちは、さらに強くなりました。今回のモンゴルでも、チームメイトやその家族などに支えられてこそ自分の生活ができ、点を取れました。日本の家族やチームメイト、そしてチームメイトの家族には、本当に感謝しています。また、SNSを通して応援してくださる方からもメッセージをもらっていたので、それが自分の励みになっていました。これからも、自分が楽しんでサッカーしている姿を観てください。」

楽しんでプレーすることの大切さを思い出した、永遠のサッカー少年。三島選手は、いつの日かJリーグに帰還するべく新たなチャレンジへと歩み出す。武器は自らの両足だ。この物語は、どのような結末を見せるのか。今後の活動にも、ぜひ期待を込めて注目していきたい。

三島 勇太(みしま ゆうた)

アビスパ福岡、テゲバジャーロ宮崎でプレー。アビスパ福岡時代にはU-20、21日本代表にも選出された。2021-22シーズンはモンゴルリーグのハーン・フンス・エルチムFCで得点王を獲得し、優勝に大きく貢献。2022年8月2日、タイリーグのAngthongFCへの加入が発表されている。

By 椎葉 洋平 (しいば ようへい)

福岡県那珂川市在住のサッカー大好きフリーライター。地元・アビスパ福岡を中心に熱く応援している。趣味で書いていたものが仕事につながり独立。サッカー、スポーツ、インタビュー記事を中心に執筆中。

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