ボクシングの世界チャンピオンを引退してから、小学校の教諭を目指している選手がいる。それが、元IBF女子世界アトム級王者の花形冴美さん(現在は岡庭冴美さん)だ。彼女は5度目の世界挑戦にして、念願の王座に就いた努力の人である。
2021年に引退し、現在は通信制大学に通っていて今秋卒業の予定。しかし、ボクシングをしていなければ、教師を目指すことはなかったのだという。女子ボクシング選手で、引退後に教師に就いた人は恐らく過去にいないだろう。冴美さんはボクサーとしての経験、そして世界チャンピオンの肩書が、社会で武器になることはないと考えていた。しかし、現場に出た今、改めてその価値を噛み締めているそうだ。
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ぼんやりと描いていた引退後の姿
冴美さんがデビューしたのは2008年。そして、ようやく頂点に辿り着いたのは、それから10年後のことだった。競技者になる前はスポーツドクターを目指していたが、大学の医学部を2年浪人して断念。理学療法士になるために医療衛生学部に在学していた。
しかし、プロボクサーとして成功する道と天秤に掛けて、退路を絶ってボクシングの道へ進んだ。ボクシングのキャリアにいつか終わりが来ることは、最初から頭の片隅にあったという。そして、実際にセカンドキャリアへ向けて動き始めたのは、悲願のチャンピオンになってからだった。
「学校の講演会に呼ばれたり、ジムでキッズを教えていたりしたこともあって、引退後は子どもに関わることをしたいと思っていました。未来ある子どもたちに自分の経験を伝えながら、成長を後押しできたらな…と。でも、ボクシングをする前まで、教師という選択肢は考えたこともなかったですね。」
2021年の夏には半年ほど、埼玉県内の小学校で支援員として勤務した。現在は通信制の大学に3年生から編入し、来年度の正規採用試験を受験中。次の目標に向かって、着々と歩みを進めている。
「もう逃げたくない」から始めたボクシング
理想的な引退後を送っているように映る冴美さん。しかし、そのために下準備と計画は、綿密に立ててきたという。
「性格的に心配性なので、常に先の先まで考えています。そこは、ボクシングと似ているかもしれません。ボクシングでもリスクを考えていくので。その理由は、これまで失敗し続けてきたからだと思います。大学を2年浪人したときは、自分の無力さを突きつけられましたね。自分ってダメなんだな…って。結局、第一志望だった国立の医学部には入れませんでした。でも、今思えば、ボクシングの何分の一かの努力もしていなかった。あのとき、それくらいの気持ちで取り組んでいたら違っていたでしょうね。」
そう振り返る冴美さんは、小さい頃からスポーツが得意だった。中学では千葉県のサッカークラブ・ジェフ市原レディースに所属。ただし、チームで選抜されるのは年上や社会人選手ばかり。中には同年代も選ばれていたが、一向に呼ばれることのない現状に鬱憤がたまったという。今ならば自分自身に原因があったと思えるが、結局は“逃げてしまった思い出”として記憶されていた。
「高校で進学校に入って満足し、通うのが遠いからという理由でサッカーを辞めてしまいました。だから、ボクシングは諦めないって決めたんです。嫌なことがあっても、辛くても、『自分の弱さを乗り越えないと』って思いました。」
しかし、大学3年時のことだったこともあり、ボクシングの道を後押しする人は少なかった。国家資格を取って卒業してからでも遅くない。あるいは、働きながらでもできると助言をくれた人がほとんど。しかし、そうした声がさらに冴美さんを奮起させた。「だったらボクシングで成功してやる」という、その思い一つでここまで這い上がってきたのだ。
教育現場でも信頼に繋がる“世界チャンピオン”という肩書
強く欲していた世界チャンピオンの称号だが、引退後は大して役に立たないと思っていたという。しかし、実際は違った。赴任先では訪れる前から、その肩書が話題になっていた。教育実習生や新人の先生とは見られず、むしろ「子どもだけではなく、先生たちにもいろんなことを教えてくださいね」と声をかけられたそうだ。教育現場に立つ身として、世界チャンピオンという経験は信頼に当たるのだと実感したと話す。
「赴任先では一から関係を作らなくても、何でもできる人、信頼できる人だと思ってもらえるんです。本来なら、教育実習の現場を見つけるのはとても大変なこと。でも、たくさんの先生方が、早く現場に立ってほしいと力になってくれました。」
冴美さんはプレッシャーも感じる一方、特異なキャリアを生かしたいと日々現場で学びを得ている。
子どもたちに話したい、諦めた経験
現場は試行錯誤の連続だった。支援員として特別支援学級の副任に就いてからは、毎日が一人反省会。
「こちらが想像もしない行動や態度ばかりで、子どもを怒らせてしまうことも。なぜ、そういう反応をするのか。あるいは、自分がどう変わればこの子たちに伝わるのだろうと、考えてばかりでした。もっと、子どもたちのことを知りたいんですよね。自宅に帰ってからも、子どもの仕草をひたすら真似してみるなど、少しでも理解に近づこうとしました。その場で頭ごなしに怒ったら、言うことを聞くかもしれません。でも、子どもは大人をちゃんと見ていますから、見ていないところでやってしまうかも。今は見習いの身なので、現場を見ながら自分の考え方や指導の仕方を色んな先生に直接尋ねては、アドバイスをもらうようにしています。」
支援員の赴任先では、全学年・全クラスに特別授業の機会をもらった。そのときのことについて、冴美さんは笑顔で次のように話す。
「子どもたちの前で、4回の挑戦に失敗して5回目でボクシングの世界チャンピオンになれた話をしました。中にはやる気がなかったのに、私自身も最初からできたわけではなく、できないことをできるようになるまで頑張ったからできたと話したら、自分も頑張ってみようかなと言ってくれた子も。こればかりは、自分の特権だなって思いました。」
これからも成功する方法ではなく、諦めたり失敗したりした話をしていきたいのだとか。その理由は、子どもたちが自分ごととして捉えてくれるから。やりたいことは、教職だけにとどまらない。大学在学時に携わっていた障害者スポーツセンターからボクシングを取り入れたプログラム作りへ参加したり、ドイツで生まれた運動プログラム『バルシューレ教室』にボランティアとして協力したりしている。当時、諦めたと思っていた出来事が、ここにきて実り始めていた。挫折や失敗、そして敗退の果てにつかみ取ったのは、大きな栄光。引退してもなお、その価値は燦々と輝き、そして自身で磨き続けている。
出会い一つで、人生は大きく変わるものだ。冴美さんはボクシングに出会っていなければ、教師を目指すこともなかった。もちろん、これから出会う子どもたちとの出会いもなかっただろう。子どもにとって教師の存在は大きく、一つの大人のロールモデルになり得る。冴美さんが教師となった後、関わる子どもたちにどのような影響を及ぼしていくのか、興味は尽きない。
花形 冴美(現在・岡庭冴美)
元ボクシングIBF女子世界アトム級王者。2008年プロデビュー。2018年IBF女子世界アトム級王座決定戦で王座を奪還。2度の防衛成功の末、2021年3月に引退。
たかはし 藍(たかはし あい)
元初代シュートボクシング日本女子フライ級王者。出版社で漫画や実用書、健康書などさまざまな編集経験を持つ。スポーツ関連の記事執筆やアスリートに適した食事・ライフスタイルの指導、講演、一般向けの格闘技レッスン等の活動も行う。逆境を乗り越えようとする者の姿にめっぽう弱い。