剣道は手にしている竹刀の動きが速く、また、相手との距離が接近しています。こうしたことから、勝敗が決するときは正に一瞬の出来事です。剣道を経験したことがない人にとっては、試合を見ていても試合者や竹刀の動きが速すぎて、どちらが勝ったのか目視では判別がつかないことも多いでしょう。
動きが速い剣道の勝負では、焦りや決断の遅れなど、僅かな心の変化が結果に大きな影響を及ぼします。剣道の勝負において、精神面は非常に重要な要素です。
目次
剣道の四戒とは
剣道には「四戒(しかい)」という教えがあります。剣道の四戒とは「驚(きょう)」「懼(く)」「疑(ぎ)」「惑(わく)」という4種の心理状態を指していて、これらを心中に起こしてはならないという戒めの教えです。驚・懼・疑・惑について、簡単にご説明します。
<驚(おどろく)>
予期しない事態に心が乱れて、正常な判断や適切な対応ができない状態
<懼(おそれる)>
相手を恐れるがあまり、攻めるも退くにも、体が自由に動かない状態
<疑(うたがう)>
相手の気持ちや行動をあれこれ疑い、判断が鈍って、決断がつかない状態
<惑(まよう)>
心の迷い。精神が混乱して、敏速な判断や軽快な動作ができない状態
一瞬で勝敗が決してしまう剣道の勝負において、これら4種の心理状態に陥ることは致命的と言ってよいでしょう。いくら体力や筋力を鍛え、技を磨いて勝負に挑んだとしても、相手と対峙したときに驚・懼・疑・惑の心理状態に陥ってしまうと、それらはまったく機能しません。相手と勝負してはいるものの、攻略すべきは相手ではなく、自分の内面にある心だということになります。剣道の勝負は、精神面が占める割合がとても大きいのです。
剣道では四戒の心理状態に陥らないために、常に平常心でいられることを理想として稽古に励みます。とは言っても、この四戒の心理状態をゼロにすることは容易ではありません。驚・懼・疑・惑の感情は、人が生きていくために備わった危機感知センサーでもあります。もし、人に驚・懼・疑・惑の感情が備わっていなかったとしたら、それはブレーキが壊れた自転車に乗っているようなもの。危険を未然に回避することが難しく、安心して生活できません。驚・懼・疑・惑の感情があるからこそ、人は命を繋いでくることができたとも言えます。
繰り返しの経験から慣れる
では、どうすれば四戒という、この根深く難儀な問題を解決できるのでしょうか。私が考える解決策は、驚・懼・疑・惑の心理状態に陥る状況を一つずつ、そして繰り返し経験していくことです。言い換えるなら、良い意味で慣れるということなります。
剣道を習い始め、防具を着けて間もない頃のことを思い出してみます。防具を着けていても、竹刀で打たれるのは非常に怖かったはずです。これは、剣道未経験者の方にも想像がつくのではないでしょうか。
しかし、今は怖くありません。何度も何度も繰り返し経験したことによって、いつの間にか慣れてしまいました。相手の竹刀が自分に迫ってくるスピードや、竹刀で打たれるときの衝撃など、瞬時に予測できるようになったのだと思います。皆さんも、予測できることには、平常心で対処できますよね。繰り返し経験して慣れることで、四戒に陥りそうな状況の一つをクリアできました。このように驚・懼・疑・惑の問題は、陥りそうな状況を繰り返し経験して慣れることで、解決する方向に進められると言えるでしょう。
剣道の稽古では、相手を打つ練習は行いますが、相手の攻撃を防御する練習は行いません。勝ちにこだわろうとする場合、守りを固め、負けないような戦術を選択したくなります。しかし、打たれまいと守りを固めていては、四戒に陥る状況を未然に回避することになります。それは、四戒という問題を先送りしているに過ぎません。四戒に陥る好機とも言える状況を逃してしまいますから、そのシチュエーションにいつまでも慣れることができず、根本解決は先延ばしになります。
剣道では「打たれて上手くなるのだ」と教わります。私も同様、「たくさん打たれなさい」と教わってきました。どんどん打たれて、四戒に陥りそうな状況を一つずつ経験し、そのような状況に慣れなさいと言っているのだと思います。一見すると遠回りになる解決策のようですが、この方法が四戒の問題を解決する最短であり、最速なルートでしょう。
剣道以外の新たなチャレンジにも役立つ
私は剣道七段を授かっていますが、今でも怖いものがたくさんあります。いつも迷ってばかりです。稽古では四戒の心理状態に陥り、毎回たくさん打たれます。打たれれば悔しいです。しかし、驚・懼・疑・惑の心理状態を味わうことも重要な稽古。相手にたくさん打たれたとしても、四戒の問題の解決に向け一歩前進したと、前向きにとらえるようにしています。四戒に陥り、相手に打たれることも重要な稽古だと思えたときは、堂々とした態度で相手と対峙できるから不思議です。
四戒の教えは、剣道を離れた日常生活においても役立ちます。例えば、新しいことにチャレンジするとき。未知の世界に踏み出そうとすれば、誰でも少なからず四戒の心理状態になるでしょう。あれこれ心配したり、臆病になったりして、チャレンジすることを躊躇してしまいます。しかし、驚・懼・疑・惑に陥ることは心の正常な反応。そして、四戒は成長への扉。驚・懼・疑・惑の感情を味わうことは、自身の成長に向けた大きな一歩。繰り返し経験して慣れることが解決策だと思えば、失敗を恐れる気持ちが和らいでくる気がしませんか。
剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。