テレビで野球の試合を観戦していたとき、実況の中に「初球打ち」という言葉が出てきました。初球打ちとは、打席に入った打者がその打席において、相手投手が最初に投げた球を打とうとする行為のことだそうです。その積極的なプレーに、私は打者の気迫を感じました。
剣道には「初太刀(しょだち)」という言葉があります。初太刀とは剣道の勝負において、最初に繰り出す攻撃のことです。武士の立ち合いで言えば、刀を鞘(さや)から抜いて、相手に斬りかかるその一振り目ということになります。
剣道では、この「初太刀」が非常に重要と言われています。剣道家は初太刀のために稽古を重ねていると言っても過言ではありません。今回は初太刀について解説しながら、剣道の魅力をご紹介してまいります。
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初太刀の失敗は命に及ぶ
先述の通り、初太刀とは剣道の勝負において最初に繰り出す一撃のことです。そして、剣道では、初太刀が非常に重要と言われています。「初太刀一本、千本の価値あり」と指導を受けることもあるほどです。この指導を簡単に言い換えると、「最初の一振り目で相手を仕留めなさい。また、最初の一振り目で相手を仕留めることを目指して稽古しなさい。」という意味になります。では、なぜ初太刀で相手を仕留めることを目指すのでしょうか。二振り目でも三振り目でも、仕留められれば良いではないかと疑問に思う方はきっと多いはずです。しかし、ここに武道としての剣道の魅力が秘められています。
これまでのコラムでもお伝えしてきたとおり、剣道で使っている竹刀は刀の代用物です。竹刀を刀の観念で扱う場合、初太刀を失敗すると二本目以降はありません。皆さんも想像してみてください。初太刀で刀を振り抜きますが、相手を仕留められませんでした。そのため、二振り目のために体勢を立て直します。しかし、二振り目の準備を整えようとしている間に、相手の刃が襲ってくる。つまり、初太刀を失敗すると「死」に繋がるということです。
もう少し分かりやすく、野球をイメージしましょう。バッターがホームランを打った直後の体勢を思い出してみてください。バットを振り抜くと、バッターの体勢が相応に崩れますね。ホームランを打った直後のバッターに対して、ピッチャーが間髪入れずに球を投げたらどうでしょうか。恐らく、一振り目と同じようなホームランを打つのは難しいはずです。このことから、刀を全力で振り抜いた直後に、二振り目の準備を整えることがどれだけ難しいかが分かると思います。
テレビや映画などの時代劇では、剣術の達人が徒党を組んで襲いかかる相手を、バッサバッサと斬り倒すシーンを目にします。しかし、これは作品の中の出来事。実際には、剣術の達人であっても、なかなかに厳しい状況だと言えるでしょう。
一撃必殺の精神
初太刀が大切な理由は、刀を振り抜いた後に体勢が崩れるからということだけではありません。幕末の頃に実在した剣術のある流派では、「一の太刀を疑わず、二の太刀は負け」と教えたそうです。これは「最初の一振り目で相手を倒すと信じて疑うな。二振り目を考えたら負けるぞ。」ということを言っています。初太刀に全身全霊を込め、一撃で相手を倒すことに集中するという、一撃必殺の精神です。
剣道は刀ではなく竹刀を用いますし、防具で体を保護していますから怪我は少なく安全です。初太刀を失敗したからといって、それが死に直結することはまずありません。ですが、刀を持っているつもりで勝負するのが剣道。竹刀であっても、初太刀に全力を注ぐ意識が重要という訳です。
中には「相手に先に初太刀を振らせてしまえば良いじゃないか」と思う方も多いでしょう。確かに、相手に初太刀を振らせて、その一振り目を回避できれば勝機が生まれるかもしれません。ですが、刀はとてもよく斬れます。剃刀のような切れ味ですし、そして剃刀よりも長い。そんな刃物を至近距離で勢いよく振られて、適切に対処できるでしょうか。きっと、至難の業だと思います。
ですから、武道としての剣道にはディフェンスの概念がありません。オフェンスのみです。失敗を恐れて攻撃を躊躇していては、先に相手にやられてしまいます。かといって、投げやりに攻撃しても、打ち損じれば相手に勝機を与えてしまう。剣道の勝負は、最初から絶体絶命の断崖絶壁。そう考えると、剣道家が初太刀を大切にする理由が見えてこないでしょうか。
未来ではなく今に思考を向ける
私は、初太刀を大切にする剣道のこのような考え方も、剣道の魅力の1つだと思っています。私の場合、相手に勝ちたいと思えば思うほど、「初太刀で失敗したらどうしよう。」と初太刀以降を考えてしまいます。しかし、私がいくら考えても、相手が初太刀で何を仕掛けてくるのかを事前に予測することはできません。自分の初太刀に対して、相手がどのように反応するのかも分かりません。
初太刀以降に思考が及んでいるということは、自分ではコントロールできない未来を心配している状態です。初太刀以降を考えているときの私は、不安に取り憑かれている状態と言えます。これでは、初太刀に全力を注ぐことはできません。初太刀で相手を仕留めようとするなら、「今」に集中するより他ないのです。剣道という名の先生が、「今この瞬間に集中しなさい」「目の前にあるものに全力で向き合いなさい」と教えてくれているように思えてなりません。
不安や心配は、思考が未来を向いているときに起こると言われます。剣道における初太刀に対する考え方は、「今」ではないどこかに向いた思考を「今」に戻してくれる教えなのかもしれません。
剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。