福岡県に本拠地を置く女子サッカーチーム、福岡J・アンクラス。2023シーズンはWEリーグ、なでしこリーグ1部に次ぐなでしこリーグ2部に所属。全国を舞台に、将来的なWEリーグ昇格を目指している。福岡女学院中学校・高等学校サッカー部を母体とするこのクラブを率いるのは、自身も福岡女学院出身の河島美絵氏。アンクラスの「生き字引」ともいうべき存在だ。

雨模様のグラウンドに檄が飛ぶ。一時はなでしこリーグ1部への昇格圏となる2位につけていたアンクラスは第2クールに入って急激に調子を落とし、取材時には4連敗中。順位は4位にまで落ちていた。

JリーグやWEリーグのクラブと異なり、スタッフの人数は限られる。練習場のピッチには、選手たちへ自ら熱血指導を実施する河島氏の姿があった。ところが、約2時間の練習を終え取材に応じてくれた際には、まるで別人のよう。そこに、練習時のピリピリ感は一切ない。「私でよければ何でも話しますよ」と、常に笑顔で50分以上にわたって語ってくれた。このオン・オフの切り替えもまた、河島氏の魅力の1つといえる。

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アンクラスに訪れた複数の危機

現在、福岡J・アンクラスの実質的な運営は、アマチュアサッカーの配信などを手掛ける株式会社グリーンカードが担う。昨季から2023シーズンにかけて訪れた、大きな変化だった。

「昨シーズンまで、とある社長さんがずっと支えてくれていました。でも『(全国リーグで)1人で支えるのはもう無理。地域リーグだったら支えられるから、もう1回地域リーグから頑張ろう』と言われて。私はそれだけは絶対に嫌で、その時に以前から繋がりのあったグリーンカードさんが引き受けてくださったんです。」

こうして、知られざるクラブの危機は避けられた。ただし「もう1回」ということは、1度目はあったということになる。遡ること6年前の2017シーズン。アンクラスは実質3部で、全国を戦うチャレンジリーグにいた。苦しんだものの、最終順位は12チーム中10位。残留圏を確保した。ところが、当時も監督を務めていた河島氏の知らないところで、当時のクラブは運営資金に苦しんでいた。

「当時、現場と運営で分けた方がいいのではという話になっており、私は運営にはノータッチでした。その結果、リーグに支払うお金を払えておらず、気付いた時には自主退会になっていて。そのときに『把握していなかった自分が悪い』と反省しました。本当にこのクラブを何とかしたいのなら、全部おまかせじゃなくて把握はしておくべきでした。選手は残留を達成したわけで、どう伝えよう、と珍しく悩みましたね。」

残留どころか実質5部となる、九州2部リーグからの再スタート。無論、選手は大量に流出した。それでも残ってくれた選手と新加入の選手をまとめ、翌年には九州1部、翌々年には3年ぶりとなるチャレンジリーグへと最短期間で復帰を達成している。「選手の『我がクラブ』という思いが他のクラブよりも強いから、この位置に居続けられているのかな」と語るように、これこそアンクラスの強みといえるだろう。そして、この苦い経験があったからこそ、昨年末の地域リーグ行きを受け入れることはできなかった。

受けた衝撃とトップリーグへの挑戦

2度の危機の際、どちらも監督は河島氏だった。さらにいえば、当時20歳の1999年に選手として加わってから、立場は違うものの常にアンクラスの一員だった。当時のアンクラスは、福岡県や九州で戦う地方クラブ。それに対して、河島氏は福岡女学院高校を卒業後、当時のトップリーグであるL・リーグの鈴与清水FCラブリーレディースで出場を重ねていた。

「鈴与に加入するまで、福岡や九州しか知りませんでした。でも、鈴与にはスウェーデンやアメリカ・中国などが、他のチームにも各国の代表選手がいた。『なんてすごいリーグなんだ』と、強い衝撃を受けました。そして、こういうクラブを福岡に作りたいとも思ったんです」

河島氏にとって2年目のシーズン終了後、鈴与は突然L・リーグを退会。クラブ自体は存続したものの、河島氏は退団を選択した。

「そのときは20歳で身体は動くし、移籍の話もありました。でも『全国にはすごい人たちがいるんだよ』と、地元の子たちに伝えたかったんです」

自身が受けた衝撃を、地元にも伝えたい。そして、福岡に女子サッカーの文化を作りたい。その一心での福岡への帰還だった。ここから今もなお続く、スペイン語で錨を意味するアンクラスと河島氏の航海が始まった。このクラブを、WEリーグへ。「これは、私の人生のミッションだと思っています」と語るように、その思いは誰よりも強い。

そして2006年、アンクラスは初めてなでしこリーグへとたどり着いた。河島氏は監督とクラブの代表、選手を兼任。3足のわらじを履き、不器用ながらも思いを武器にクラブを引き上げてみせたのだった。

「なでしこリーグに上げる!と思っていたものの、いくらお金がいるのか、何が必要なのかまったく分かっていませんでした。スポンサー回りでは世界一になりたいだの、日本一になりたいだの夢だけ語って『お金ください』『資料って何ですか?』みたいな。そこから、アビスパ福岡(男子サッカー・現J1リーグ所属)の知り合いに1から聞いて資料作りです。ただ、『このご時世にそんなはっきり夢を語るのは珍しい。そこにお金を出すよ』と言ってくださることは多かったですね。」

まさに体当たり。クラブの基礎を作り上げ、2010年からの3シーズンはトップリーグのなでしこリーグ1部で戦った。そこから現在まで、2013年からの約4年間を除いて常に指揮を執る。表面だけをみて、独裁的のように捉える人もいるだろう。しかし、河島氏は監督やクラブ代表の座にこだわっているわけではない。

「私はずっと、『クラブのレベルをこれ以上上げるにはもっといろんな人が関わって、その時は私中心じゃない方がいい』と言ってきました。監督がいいとか、クラブの代表がいいとかとは一切ありません。例えば、私が総理大臣になることは絶対にない。総理大臣補佐官ぐらいならなれるかもしれないけど。クラブが上に上がるには、総理大臣になれるような人たちを連れてこないといけないんです。」

ただし、もちろん監督としての質を高める動きは怠らない。2022年には、WEリーグのクラブで指揮を執れる『Associate-Proライセンス(通称・A-Pro)』を取得。現在はJリーグの監督も可能となる、S級ライセンス取得を目指している。

「これまで指導者ライセンスが上がるにつれて、選手みんなも(レベルが)上がってきた実感があるんです。だから、もう1個上に上げるためにA-proを取って、さらに今のトップがSなんだったらSを取ろうと。」

すべての行動原理がアンクラスなのだ。アンクラスというクラブの成長に繋がるか否か。それが明確だから、迷いがない。WEリーグ創設1年目の2021年、とあるクラブから監督のオファーがあったときも同様だった。

「結局断ったんですが、初代WEリーグ監督という箔を付けていつかアンクラスに帰ったら、将来のWEリーグ昇格に繋がりやすいんじゃないかとは考えました。」

河島氏が考える、強いクラブを作る方法

20歳で選手として帰還し、約四半世紀。さまざまな立場を経験した河島氏にとって、強いクラブを作るためには資金や強化以上に大切なものがある。

「良い選手を呼ぶのも、1つの手ではあります。でも、それ以上に関わる人、一緒に作ってくれる人を増やすことが、1部昇格に繋がると考えています。よく『地域の方に、地域に愛されるクラブ』という言葉を聞きますが、私としては『愛される』ではない。皆のものと考えてほしいんです。サポーターの方が応援だけじゃなく、次の試合こんなことしない?と盛り上げてくれたら、選手たちも絶対に盛り上がる。『俺の、私のアンクラス』という方を増やしたいんです。」

2023シーズンに入り、クラブには各メディアからの取材が増加。スタジアムには太鼓の音が鳴り響き、数年ぶりとなる声出し応援も戻ってきた。

「福岡が好きで、どうしても福岡に女子サッカーの文化を作りたい」

まだ大きくはないものの、河島氏の思いは確かに息づき広がりを見せている。

By 椎葉 洋平 (しいば ようへい)

福岡県那珂川市在住のサッカー大好きフリーライター。地元・アビスパ福岡を中心に熱く応援している。趣味で書いていたものが仕事につながり独立。サッカー、スポーツ、インタビュー記事を中心に執筆中。

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