以下は、江戸時代中期に書かれた書物『葉隠(はがくれ)』の冒頭です。このフレーズについては、これまでに見聞きしたことのある方も多いのではないでしょうか。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
冒頭部分だけを切り取って単純に解釈すると、「死ぬことが武士道だ」と言って、死を積極的に求めているようにも捉えられます。しかし、冒頭以降を読み進めることで、それは誤解だと気付くでしょう。この言葉は、「死を覚悟することで保身への執着を手放し、危ぶまず心に正直に生きよ」と説いていることが分かります。『葉隠』は、より豊かな生き方を示した自己啓発書と言えるのかもしれません。
目次
一瞬の勝機
私は剣道の先生から、次のような指導をいただいたことがあります。
「剣道は相手を斬る(相手に勝つ)ために稽古するのではない。相手に斬られる(相手に負ける)ために稽古するのだ。相手に斬られるという極限状態を擬似体験できるのが剣道だよ。斬られる瞬間の自分の心に着目してごらん。自分の心を問うのが剣道なのだ。」
剣道で相手と対戦していると、「今ここが勝機だ!」と直感することがあります。剣道の勝負は一瞬ですから、直感に対して熟考していては間に合いません。勝機を直感したら、躊躇せずに行動したい。しかし、大抵の場合、その場面で行動することができません。勝機を見出しながらも躊躇して行動できないジレンマは、剣道経験者ならきっと共感してくれるでしょう。例に漏れず、私も勝機に躊躇してばかりです。
剣道の勝負では、相手が攻撃を仕掛けようと決断した瞬間が勝機だと言われています。つまり、勝機を察知したとしても、その察知した勝機に対して自分も攻撃を決断するわけですから、決断した自らも相手に打たれるリスクを背負わなければなりません。剣道の勝機は、チャンスとピンチが表裏一体ということです。
誰だってリスクは負いたくありません。打たれたくないし、負けたくない。ですから、勝機を直感しても行動を躊躇し、結果的に勝機を逃してしまいます。剣道の勝負において勝機を活かせるか否かの岐路は、「保身への執着」を瞬時に手放せるかどうかに掛かっているのです。剣道の先生が私に向けておっしゃった「斬られる瞬間の自分の心を問うのが剣道なのだ」というご指導は、恐らく次のようなことを教えてくださったのでしょう。
「打った・打たれたの結果ばかりに着目すると、打たれることが怖くなる。それは保身への執着だ。心に湧き出る保身への執着に向き合いなさい。勝機と見たら危ぶまず、直感を信じて行動する勇気を養いなさい。」
打たれること、負けることへの恐れを「保身への執着」として捉えると、剣道で勝負すべきは相手ではなく、自分の心ということになってきます。剣道では、たとえ相手との勝負に負けたとしても、保身への執着に挑戦したのであれば、それは勇気の証であり「価値ある敗者」なのです。
冒頭で、『葉隠』はより豊かな生き方を示しているとご紹介しました。『葉隠』は、「保身への執着を手放すことで、危ぶまず正直に生きよ」と説いています。剣道もまた、心を解放し、自由に生きるための道を示していると言えるでしょう。
勝敗の意味
さて、昨今の競技界で挙がる話題の一つに、「勝利至上主義」の問題があります。勝利至上主義とは、相手に勝つことを絶対的な目標とする考え方です。とはいえ、競技ですから競争がセット。競争すれば勝ち負けがハッキリと別れます。誰でも勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。指導者であれば選手を勝者にしてあげたいし、親であれば子を勝者にしたい。また、競技に経済的な価値が加われば、得をするのは勝者である場合がほとんど。競技における勝利至上主義の問題は、人間が持つ本能的な欲求とも絡み合い、非常に複雑な問題です。置かれている立場によって、さまざまな意見があるでしょう。
私は競技において、勝利を目指すこと自体は必要であると考えています。むしろ、勝利を目指すことは重要です。ただし、「勝者にこそ絶対的な価値があり、敗者に価値無し」との考えには疑問を持っています。特に、剣道においては明確に否定したい。それは、剣道では「価値ある敗者」が存在するからです。
孫子の兵法の中に、「百戦百勝は善の善なる者に非ず」という一節があります。この言葉は、以下のような意味を持つ言葉です。
「戦って勝つのではなく、まずは戦わずして勝つべきだ。戦えば、たとえ勝ったとしても少なからず損害を受ける。連戦連勝しても勝つたびに損害を受けていては疲弊してしまう。百戦百勝しても百一戦目で滅ぼされてしまっては意味がない。だから、まずは戦わずして勝つことを考えよ。」
私はこの一節を、「戦いの手段と目的を履き違えてはいけない」という意味でも解釈しています。恐らく孫子は、「戦いは百戦百勝することが目的ではない。戦いの目的とは、結果として自軍の力が増幅し繁栄することだ」と言っているのではないでしょうか。
勝利を追求することは大切です。しかし、勝ち負け自体を求めるか、また、その先にある成長や繁栄を求めるのかで、勝敗の意味合いは大きく変わると私は考えます。
今日の稽古では、打たれる勇気を持てるでしょうか。私にとって、保身への執着は非常に難儀な問題です。「打たれたくない」という思いが、次から次と湧いてきます。しかし、この問題に向き合おうとするとき、私は心身ともに充実するから不思議です。
剣道LABO®︎代表・剣道ファシリテーター。自身の剣道経験と映像編集技術を駆使し、社会人剣道家の上達をマンツーマンでサポートしている。東京・神奈川・千葉・埼玉にクライアント多数。全日本剣道連盟 錬士七段。1976年生まれ。