原則的に、走ることは健康に良い。しかし、ウルトラマラソンには身体面で長期的かつ潜在的な健康リスクがあることを指摘する研究を前回の記事で紹介した。今回はウルトラマラソンの脳や心理面における影響について見ていきたい。
走ることに限らず、運動をすることによる脳や心理面でのポジティブな効果を見出した研究は数多く、まさに枚挙の暇がない。このウェブサイトでも何度となくそうした例を紹介してきた。
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だが、やはりウルトラマラソンともなると、身体に限らず脳や心理面においても悪影響が生じる事例はあるようで、下に紹介するいくつかの研究が指摘している。
目次
短期的な睡眠不足の影響
言うまでもないことだが、ウルトラマラソンの競技時間は長時間に及ぶ。100㎞レースくらいなら半日程度で収まることもあるが、競技そのものが睡眠時間を削って走り続けることを前提としたものもある。100~200マイル走とか24~48時間連続走などがそうだ。
そうしたレースのひとつ、オーストラリアで開催される200マイル(326km)レース『The Irrational SOUTH 200 Miler』の参加者を対象にした研究(*1)がある。
*1. Sleep–Wake Behaviour of 200-Mile Ultra-Marathon Competitors: A Case Study.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8909969/
論文著者らによると、ウルトラマラソン中の睡眠不足は、認知機能の阻害と神経行動学的パフォーマンスの低下に関連する。そのことは、ランナーがレース中に適切な判断力を一時的ではあっても失うことに繋がる。
競技における戦術に影響するだけならともかく、故障や事故を誘発する可能性も否定できない。人は極端に睡眠が不足すると、幻想や幻覚を見ることさえもあるのだ。
睡眠の重要性は長期的な健康に関連して語られることが多いが、短期的な睡眠不足の影響にも注意が必要である。故障や事故が発生すれば、その影響が長引くことはあり得るからだ。
一時的な認知機能の低下
長期的には、有酸素運動が認知機能を向上させ、認知症の予防にも効果があることは多くの研究で明らかになっている。その一方で、ウルトラマラソンにはこの分野においても一時的な逆効果を生む可能性が指摘されている。
2022年に発表された研究(*2)は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州内で行われた『Fat Dog 120 Trail Race』の参加者を対象に、レース後の認知機能がどのように変化するかを調べたものだ。
*2. Effect of an Ultra-Endurance Event on Cardiovascular Function and Cognitive Performance in Marathon Runners.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35514331/
研究によると、ウルトラマラソン終了後のランナーの記憶力と判断力は大幅に低下し、反応時間も遅くなっていることが分かった。 論文著者らは、その原因を身体が極端に疲労したことによる血管の変化にあると考えている。心臓血管系の機能を維持するためにより多くの血液がそちらに送られる一方で、脳や胃の優先順位は低くなるということだ。
医学的な因果関係はともかくとして、疲れ果てて何も考えられないという状態を自覚したことがないウルトラランナーはいないのではないだろうか。レース中のある部分の記憶が抜け落ちることも珍しくはないだろう。
筆者の感想
ウルトラマラソンが脳と心理面に及ぼす影響のうち、良き側面に目を向けると、認知機能を強化し、かつ感情のコントロール能力を改善するといった長期的なメリットが多くある。その一方で、睡眠を妨害し、疲労を蓄積させ、一時的には脳の機能を低下させる危険もあるようだ。
デメリットの多くは短期的なもので、それらは走り終えた後に十分な休息をとることで解決するだろう。それでも注意をするに越したことはない。過信や油断は禁物である。
ウルトラランナーの多くはレース当日だけではなく、普段のトレーニングでも思わず走り過ぎてしまう傾向があるからだ。一時的な能力低下であっても、それが頻繁に繰り返されることは、あまり健康的であるとは思えない。
アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。