短い距離を速く走る。多くのスポーツで重要になる身体能力ではあるが、生まれつきの才能が占める部分が大きく、それを向上させることは難しい。
無論、短距離走のタイムを後天的に速くすることは不可能ではない。瞬発力を鍛え、ランニング・フォームを改善すれば、誰でもある程度は速く走れるようになる。
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コンマ秒単位のタイムを縮めるためには綿密な計画と地道な努力が必要とされる。だが、指導者がアスリートにかける、たったひとつの言葉が大きな変化をもたらすこともある。
「ジェット機が離陸するように走れ」と声をかけただけで、10代サッカー選手たちの20m走タイムが3%速くなった。そのスプリント能力向上率は数週間のトレーニング効果に匹敵する。
これは英国・エセックス大学の研究者らが名門サッカークラブ『トッテナム・ホットスパーFC』の協力を得て行った研究結果(*1)である。
*1. How effective are external cues and analogies in enhancing sprint and jump performance in academy soccer players?
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/02640414.2024.2309814
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短く、単純な比喩が鮮明なイメージを生む
実験に協力したのは年齢14~15歳のエリート・レベルでプレイする少年サッカー選手20人である。彼らはスプリント走のトレーニング・セッションに入る前、指導者から異なるタイプのアドバイスを受けた。
「地面を強く押し返せ」と言われた選手は「足を地面に突き刺せ」と言われた選手よりタイム向上率が高かった。自分の身体の位置に気をとられるより、外的環境に集中した方が良い結果を生むらしい。
20m走のタイム短縮に最も効果的だったアドバイスは上に記した「ジェット機が離陸するように走れ」である。似たような結果は垂直跳びでも認められた。
論文著者のひとり、ジェイソン・モラン博士はエセックス大学のメディア・リリースで次のように述べている。
「指導者がアスリートにかける言葉はパフォーマンスを向上させる即効性を持ちます。アスリートは自分の体の位置を気にすると、滑らかな動きが阻害されることがあります。それよりも、むしろ外部の環境に注意を向けさせた方が良い結果を生むようです」
「言語によるアドバイスはある種の比喩を用いると、さらに効果が上がります。例えば、ただ速く走れと言うより、『フェラーリのように走れ』と言い聞かせた方が、アスリートはより鮮明なイメージを脳に描けるかもしれないのです」
長嶋茂雄氏の「擬音」指導は理にかなっていた?
サッカーに限らず、スポーツ指導者は身体の動かし方をいかに分かりやすく伝えるかに工夫をこらす。「腰を回せ」、「頭を残せ」、「前傾しろ」、などなどである。
それらの常とう句の背後には、遠心力や重力などの科学的な理論が存在するのだが、それを頭で理解させることと実際に身体を動かせるように導くことは必ずしも同じではない。
あるべきフォームを気にするあまり、かえって身体が固まってしまうのでは本末転倒である。少年少女のアスリートを指導する場合はなおさら注意が必要だ。
上の研究は英語による言語アドバイスが対象なので、我々は日本語ではどのように表現するべきかを考えていかなくてはならない。
そこで思うことだが、日本語には擬音というさらに便利なものがある。
ミスタープロ野球こと長嶋茂雄氏は打撃の指導に「グゥーッと構えて腰をガッとする」であるとか「バァッといってガーンと打て」のような擬音を多用したらしい。
長嶋氏と言えば、天性の運動能力と動物的なカンの持ち主であるイメージが強い。現役時代から感覚的あるいは無意識的な天才だと考えられていたし、監督になってからもそうだ。上の指導エピソードもそんな文脈で語られることが多い。
しかし、あらゆるスポーツの中で最も難しい動作のひとつと呼ばれることもある野球の打撃フォームを伝えるうえで、あるいは非常に効果の高いアドバイスであったのかもしれない。
「ジェット機が離陸するように走れ」を、長嶋氏ならどのように表現するだろうか。
アメリカ・カリフォルニア在住。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州内の2つの高校で陸上長距離走部の監督と野球部コーチを務める。