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◆清原氏の長男 慶大野球部に入部

西武や巨人などでプレーした清原和博氏の長男・正吾外野手の慶応大学野球部入部が決まった。大学が発表した今春入学予定の新入部員20人に名を連ねた。

 

◆中学はバレー 高校はアメフト

清原外野手は歴代5位のプロ通算525本塁打を記録した清原和博氏の長男で、小学生のときは少年野球チームに所属していた。中学校ではバレーボール、高校ではアメリカン・フットボールをしていたため、本格的に野球をするのは6年ぶりとなる。それでも、昨年末には慶大の練習に参加し、ロングティー打撃では大飛球を連発。父親譲りの野球センスとパワーに、打撃練習を見た関係者は驚いたという。

 

プロ野球選手も多数輩出している東京六大学の名門校で、清原外野手が試合に出場するのは簡単ではないだろう。6年のブランクを経て再びバットを握る選手は珍しいが、中学や高校から本格的に野球を始めたり、一定期間野球を離れたりして、大学や社会人、プロで活躍した選手もいる。

 

◆メジャーには39歳でデビューした選手

驚くことに、アメリカには常識では考えられない経歴でメジャーリーガーになった選手もいる。コンラッド・マレーロは1950年にセネタース(現在のツインズ)に入団したとき、すでに39歳だった。大リーグ公式サイトによると、マレーロは母国・キューバにある小さな町のアマチュアチームで三塁手をしていた。自身の守備力を「顔で打球を止めて、歯を何本か折ったことがある」と話していた。

 

◆27歳で初めて投手 才能開花

しかし、転機が1938年、27歳のときに転機が訪れた。身長165cm、体重71kg。決して恵まれた体格ではないが、初めてマウンドに立つと、投手としての適性を見せた。投球スタイルには諸説あるが、スライダーやナックルを操ったといわれている。

 

◆メジャーで2年連続2ケタ勝利

セネタースに入団したマレーロは1年目、27試合に登板して6勝10敗、防御率4.50と苦労した。しかし、2年目は11勝9敗、防御率3.90。3年目は11勝8敗、防御率2.88と、ローテーションの一角として2年連続で2ケタ勝利をマークした。43歳シーズンとなった1954年までの5年間で、メジャー通算39勝を挙げている。

 

27歳まで投手経験がなかったマレーロ。キューバの片田舎のアマチュアチームにいた平凡な三塁手は、アメリカンドリームをつかんだ。どんなきっかけや経緯で成功するかはわからない。それは、野球から6年間離れている清原外野手にも言えることだ。

 

By New Road 編集部

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